親戚に不幸があった。
妻の母上の弟さん。
58という若さで旅立って行かれた。

しばらく前から入院していたので、ウチの長女が落ち着いたら、抱っこしてもらわなきゃね、と言っていた矢先の出来事。

7月24日、テレビのアナログ放送が停波し、地デジ化の話題で持ちきりだったあの日。
突然の訃報に、妻は絶句し、泣き崩れた。

すぐに蒲田の病院へ向かった。
静かな顔を見て、手を合わせた。

すぐに通夜、というわけでは無かった。
東京は亡くなる方の人数も多くて、葬儀や火葬の予約がなかなかとれないケースが多いという。

結局、通夜が29日、葬儀・告別式が30日となった。

故人は会社の専務取締役という立場もあって、半分社葬の意味合いもあった。
そのせいか、訪れる人の人数はかなり多かったと思う。

僕も、故人とはちょくちょく会うことがあったので、亡くなったことの実感が未だに沸かないでいる。

お義母さんお義父さんは、かなりお疲れになったと思う。
まだ健在とはいえ、介護の必要なお祖母さん(妻の祖母)のお世話もある。

葬儀は、宗派にかかわらず、常に遺された者のためにある。と思う。

送り出される人のため、ではなく、遺された者のためにあるのだと。

送り出すための様々な手続きが、あまり合理的でないのは、忙しさが悲しみを緩和するから、とも思える。

そして、時間をかけて、ゆっくりと死を受け入れる。

そうやって、また遺された者が歩き始められるように、出来ている。

合掌。

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