【もう高校生】ポンコツ長男、高校球児になる の巻

自宅前の桜2022
なんと、もう2022年の4月だ。
年々、時間が早く感じるのをジャネーの法則というらしい。

さて、【もう中学生】子どもが中学生になった時の環境設定 #課外活動編
の続きである。

中3の夏でいったんシニアは卒業、というかたちにはなってはいたものの、なんだかんだで秋も冬もちょいちょいと試合があり、その間は毎週土日に自由練習ということでグラウンドには行っていた長男氏。
親はいちおう卒業ということで毎週の出動はなくなってはいたものの、これまたなんだかんだで試合だの調整だので忙しくしていた。

そんな卒業したのかどうなのかはっきりしない日々がこの春ようやく完全終結し、長男氏は高校生に(なんとか)なることができた。

まずは、高校入学までの経緯を書いておこう。
現在、中2、中3でシニアやボーイズで野球をやっている子の親御さんの参考になれば幸いである。
いやならないかもしれないかもしれない。

長男氏のスペック的には、中学での成績はまあ悪かった。
どれくらい悪かったかというと、5段階で5とか4は見たことが無い。
よくて3。1もある、という有様。
中2が終了した時点で、9教科の5段階評価を合計して20ちょっと、という感じ。

この成績だと、神奈川県では選べる高校はかなり限られる。他県でも同じか。
その中で硬式野球部があるところ、あまり弱すぎないところ、となるとほぼ選べない。
選べないというのは、そんな都合の良い高校などない、ということ。
自力で(勉強して)受験して、というルートはほぼ完全に期待できない状況であった。
(終いには高校は行かない、働かない、草を食べて生きる、と訳の分からないことを口走る時期もあった)

所属していたシニアのチームは代表者がシニア界ではかなりのベテラン、ということもあって、高校の野球部とのパイプはかなりあり、中3に上がるころの2月あたりからはいろんな高校の野球部からいわゆるスカウト的な人たちが、スーツ姿でグラウンドに挨拶にきていた。
高校で硬式野球を本格的にやっていく場合、こうした高校とのパイプがあるということが、シニアやボーイズの最大の利点であることは言うまでも無い。
特に小学生時代(リトルリーグなど)ですでに目立つくらい野球がうまくて、そのままの調子で中学でもトップクラスの動きをしているような選手には、私立高校の野球部は早い段階で獲得に動く。

長男氏の所属チームにもそうした目立つ選手がいたので、早い段階でスカウトが見に来ていた。
他の選手はそのおこぼれに与ることで、ついでに見てもらうこともあった。

長男氏は違った意味で目立ってはいた(ありえない三振率)が、言うまでも無く、スカウトから声がかかるような逸材ではないので、別のアプローチが必要になる。
チームの指導者は、過去、自分の子どもをこのチームに入れていて、その際「お父さんコーチ」として活動されていた方や、自身が名門高校で野球をやっていた経験者、自身がこのチームの卒業生で高校でも野球をやって指導者にまわった方などが中心だ。
そうした指導者の出身母校とのつながりから、少しお話を通してもらった。
出身高校の現在の野球部スタッフの方との間に入っていただいて、顔合わせをさせていただくことから始まり、
まずは高校野球部の体験練習会に参加、といったルートがあった。
長男氏もそのルートで秋に体験練習会へ連れて行った。

どこの高校なのかは、ここではいちおう伏せていこう。仮に都内のA高校としておこう。
今後、長男氏が何らかの問題を起こして学校や野球部にご迷惑をかけることがないとは言えない、いやむしろなんかやらかす、ぐらいに思っているので、実名は伏せておきたい。

他の高校はどうなのか分からないが、A高校では、普通科の中に、いわゆる「スポーツコース」のようなものがあり、スポーツコースの生徒は全員何らかの運動部に所属しなければならない、といった規定があった。
つまり、お勉強して受験して入るのではなく、スポーツはやるけど勉強はちょっと・・・といった生徒のセーフティネット的な位置づけである。
これは長男氏にとってはうってつけの高校である(と今のところは思っている)。

全員が運動部に所属する、ということなので、逆に何らかの理由(問題を起こして退学とか)で野球部を辞めると、自動的に学校も辞めなくてはならない、ということなので、そこを最後の砦としてなんとか高校卒業まではいってもらいたい、というのが親側の魂胆である。

秋に体験練習会に参加し、そこそこ褒められたりした(たまたまフリーバッティングでよい当たりがあった)ことで、長男氏の頭の中は、すでに入学してバラ色の高校生活を送る自分の姿があったようだ。

年が明け、いちおう「推薦入試」というかたちで2月に臨んだ。
推薦入試といっても、面接と作文だけというなんともカタチだけのものであった。
しかも実際には当日になってコロナの感染対策ということで面接しか行われず、作文はなかった。
感染対策なら面接をオンラインにするとか、作文は事前に送らせるなどできただろうに。
いかに作文などがカタチだけのものかがよくわかった。

と同時に、やはり高校は少子化の中、生徒集めに必死なのだということもわかった。
勉強に関しては目をつむり、スポーツをやっている子を優先して入学させる仕組みを作っていたり、そのために早い段階からいろんなチームに足を運び、コネクションをフルに使って、とにかく生徒の人数を確保する、ということにご執心だったのは、こういった背景があったのだなと分かった。

そんな状況なので、当然のように推薦で受けた生徒はもれなく合格ということになる。
推薦入試の日からだいたい1週間くらい(だったと思う)で合否の連絡が来た。
この頃の中学はというと、推薦を受けた生徒と公立高校を受験する生徒とで微妙な空気になる時期であり、そんな微妙な時期にすでに合格したお花畑頭の長男氏がウッキウキで登校などしたら、はっきり言って迷惑でしか無いことは想像に難くない。コロナ禍ということもあって、無理に登校しなくてもよい、ということになっていたので、夜更かし(朝方までスマホでゲームやLINEに明け暮れる)して朝は起きない長男氏をあえて放置しておいたりもした。

3月に入ると、公立を受験していた子の合否も連絡があったりして、卒業式を迎えた。
中学校入学式の日の朝、自宅前で撮った同じ場所で撮影した。
誰もがビックリするくらい背は伸びた。学力は伸びなかったが。

中学入学式の日と中学卒業式の日の長男氏
中学入学式の日と中学卒業式の日の長男氏

卒業式から高校野球部の練習が始まるまでのグレーゾーンな2週間くらいの間、長男氏はやりたい放題であった。
朝方までスマホでゲーム三昧、LINE三昧の日もあれば、夜通し帰ってこない日もざらにあり、母親はかなり気に揉んだ様子であった。
私はというと、もう、彼にはいろんな意味で期待をしないことを心がけていたので、とにかく周りに迷惑をかけないでいてくれれば、もうどうでもいいとさえ思っていた。今も思っている。

高校野球部の練習は、高野連の規定で3月25日までは新入生を練習に参加させてはいけないらしい。
その規定通り、翌26日には初めての練習に参加したようだ。
まだ入学式前から制服を着ての電車通学が始まった。
納得いかないのは学生証が届いていないので電車の定期券が購入できないことだった。
もうひとつ納得いかないのが、入学式前には学生証が届いて、無事、通学定期券をみどりの窓口で購入できたのだが、みどりの窓口で並んで購入したのは私であることだ。なぜなら本人に大金を渡すとちゃんと定期券を購入せずネコババする可能性が大きかったからである。
バカを治す薬があるなら1億円でも買いたい。

入学式は保護者の参加が認められたものの、1名のみ、という制限付きであった。
母親が参列した。

高校入学式の日の長男氏
高校入学式の日の長男氏

まだまだまだ反抗期は続くようなのでこのようなつまらない写真になってしまうようだ。
まあ、また、それも彼の人生なのでどうでもいい。
とにかく周りに迷惑をかけないで過ごしてもらいたい。

高校の野球部ではさすがに親の出番は無いだろうと高をくくっていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
父母会なるものがあり、5月には集まりがあるという。
もうなにもしたくないのだが、母親が若干やる気を見せているのが困りものである。
続報を待て。

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