【BOOK】『朱色の化身』塩田武士:著 抗えない運命を抱えて生きる

UnsplashTodd Jiang

戦後(1945年以降)の福井県において、広範な市街地の焼失をもたらし、地域社会および経済基盤に致命的な影響を与えた大規模火災があった。
昭和31年(1956年)に起こった「芦原町大火」と呼ばれる大規模火災事故は、その被害規模に比して、あまりにも他府県には知られていない。

芦原町 – Wikipedia
faviconja.wikipedia.org

単に多くの家屋が消失した、というだけでなく、都市機能が一時的に麻痺するほどの壊滅的な被害があったという。
本作は、その芦原町の大火災を契機に、人生を翻弄された一人の女性の半生を、本人以外の多くの関係者からの証言を重ねて、その人物像を浮かび上がらせながら、人間の強さと弱さ、家族の絆と血縁の呪い、社会構造に飲み込まれた生きづらさをも抱え込みながら、生きることの意味を問う物語である。

4065249996
朱色の化身
塩田 武士(著)

朱色の化身 | 塩田 武士 |本 | 通販 | Amazonより引用:

「知りたい」――それは罪なのか。
昭和・平成・令和を駆け抜ける。80万部突破『罪の声』を超える圧巻のリアリズム小説。

「聞きたい、彼女の声を」 「知られてはいけない、あの罪を」

ライターの大路亨は、ガンを患う元新聞記者の父から辻珠緒という女性に会えないかと依頼を受ける。一世を風靡したゲームの開発者として知られた珠緒だったが、突如姿を消していた。珠緒の元夫や大学の学友、銀行時代の同僚等を通じて取材を重ねる亨は、彼女の人生に昭和三十一年に起きた福井の大火が大きな影響を及ぼしていることに気づく。作家デビュー十年を経た著者が、「実在」する情報をもとに丹念に紡いだ社会派ミステリーの到達点。

元々福井県は地形的な特性から、その大火が起こるリスクを抱えていたという。
福井県をはじめとした、日本海沿岸部および内陸の盆地では、春先に南風や西風が山脈を越えて吹き下ろすことがある。
この高温で乾燥した気流・フェーン現象が発生しやすいという気象学的な特徴を持っている。
フェーン現象は空気を極度に乾燥させる。建築物や資材の含水率を低下させ、わずかな火があれば極めて高い速度で火災が拡大してしまう。

芦原町大火の発生時、数日前から高温で乾燥したフェーン現象が続いていたらしい。
火災リスクは極限まで高まっていたことが確認されている。

こうした気象的な脅威は、江戸時代から認識されており、当時の大野藩(松平直政)の記録も残っているようだ。
安永年間には夜更けまで夜廻が行われ、風が強い夜には焚き火が禁止されるなど、この地域での行政的・社会的な規範として組み込まれていたほどだ。

芦原町大火が起こった1956年の数年前、福井地震(1948年6月28日)が起こっている。
その復興の最中、大きな火災が起きたことで、そのダメージはより大きなものであったと想像される。

震災の復興期においては、緊急的な措置として建築基準の厳格な運用や耐火構造への移行などは後回しされたことは容易に想像がつく。
木造家屋が中心であるものの、密集した地域での再建もやむなしとされたであろう。
昭和25年のジェーン台風、昭和28年の台風13号、昭和29年の洞爺丸台風など、複合的な自然災害によって構造的な被害を立て続けに受けていたこともあり、社会の復興力・回復力もかなり低かったと思われる。
こうした状況を鑑みると、芦原町大火はその単一の火災という側面だけでは捉えきれない。
戦後の混乱期における復興途上都市の耐火構造の未整備をはじめとした構造的な脆弱性が、極端な気象条件と重なって露呈してしまったとも考えられるのである。

UnsplashRO Kazui

本作の舞台は、実際の史実としての芦原町大火が発端となっている。
温泉街でもある芦原で街を丸ごと焼き尽くすような大火事が起こった。
町中の人々が逃げ惑い、時に助け合いながら火から逃れようとしている最中、不在の中心となる「辻珠緒」が、ある光景を目撃する。
元新聞記者の大路は、同じく新聞記者だった父からの頼みで、この「辻珠緒」の行方を探すため、彼女と関わりのあった人々に取材を重ねていく。
この、辻珠緒本人がなかなか姿を表さないまま、周辺の人々の証言だけが続いていくことで、徐々に本人の人物像が浮かび上がってくる手法が「リアリズム小説」と呼ばれている。

実際の史実である芦原の大火や、芦原町の当時の様子など、徹底的に取材を重ねながらも、そのリアルの中に「辻珠緒」というフィクションを混ぜていくことで、よりリアルに近づいていく、まさにリアリティを突き詰めたような作品である。

著者の試みは、非常にユニークであり、先鋭的でもある。
小説というフィクションを創作するにあたって、それとは対照的な「取材」を重ねることで、取材から得た情報をストーリーに載せるというよりは、取材から得た情報から物語を紡ぎ出しているのである。
先にプロットを構築せず、取材を先に進めていき、物語を後から肉付けしていったというのだ。
これまでの小説創作のセオリーとはかけ離れた手法で積み重ねられた物語は、容易に理解することは難しい。

だが、こうした手法によって描き出された物語は、読み手の想像を遥かに越えて飛翔していく。
福井という気象においては特異な地域に生まれ、実の親や育ての親に人生を翻弄された一人の女性・辻珠緒は、史上稀に見る大火に見舞われ、その人生を振り回されていく。

昭和という激動の時代に生き、ゲームという自身のコントロールが効かないものに心身を削られながらも、そのゲームで自身の過去とも向き合うことになるのだ。
なんという人の運命の荒々しさ、抗いがたい存在の巨大さだろうか。
生まれた地も、親も血縁も、火事も、依存症も、全て本人にはどうしようもないほどの運命としか言いようのない大きな流れの中で、人間の実存を描いた大作だ。


4065249996
朱色の化身
塩田 武士(著) 4065148251
罪の声 (講談社文庫 し 104-5)
塩田 武士(著) 4065123518
歪んだ波紋
塩田 武士(著)

gladdesign-blog-CrazyOneをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

gladdesign-blog-CrazyOneをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む