【訃報】祖母の葬儀

前エントリー「訃報】私の祖母が永眠いたしました。」で私の父方の祖母が亡くなったとお伝えしました。
9/28(日)の通夜には間に合わなかったので、29日(月)の葬儀に行ってきました。

祖母の家は島根県益田市にあります。
これといって何もない田舎ですが、近くに柿本人麻呂の神社があったりします。

そんな田舎ですので、飛行機で行くにも、羽田ー萩・石見(はぎ・いわみ)空港間は1日1便しかありません。
正確には1日2便ですが、昼過ぎに羽田発の便は大阪(伊丹)を経由する上に金額も高いし、大阪で1時間近く待たなければなりませんので、実質使える便は1日1便です。
その1便はなんと早朝7:20羽田発。
朝6:00にウチを出発すれば間に合う、はずでした。

そう、私、大失態をやらかしました。

寝坊しました! あ〜

よりによってこんなときに。やらかしました。
前日の晩、寝付けなかったというと、言い訳になりますよね。

とにかく、猛スピードで羽田へ向かいました。
車で出発したものの、朝のラッシュにひっかかってしまいました。
首都高の乗り口まで、大渋滞。抜け道はありません。というか、どの道でも大渋滞ですが。

やっと首都高に乗ったものの、ここもいつもより車が多い。
やっとのことで羽田に到着しましたが、乗るはずだった飛行機は出発していました。

飛行機に乗り遅れるなんて!

私自身、自分にびっくりですが、妻の怒りは尋常ではありません。
しかし、飛行機慣れしている我が妻、機転を利かせてすぐさま広島空港行きの便を手配。
広島空港からレンタカーで行こうという算段です。
火葬までには間に合うはず。
 
 
とりあえず、広島空港に到着。
羽田を出る前にレンタカー会社に連絡していたにも関わらず、広島についてみると広島の店舗には連絡が届いていない様子。
憤慨しながらも、とにかく急ぐ。

休憩無しのノンストップでなんとか辿り着いたときには、ちょうど葬儀会場から出棺されるところでした。
急いで着替えて、火葬場に向かう。

火葬場で最後のご焼香。

おばあちゃん、とってもきれいな顔でした。
棺の中にはたくさんの花が手向けられていました。
手編みのお花もありました。

つい1週間前に会ったばかりなのに。
こんなにも冷たくなっているなんて。

私がまだ小さかったころ、曾祖母のお葬式に出席しました。
初めて亡くなった人間に触れてみました。
びっくりするくらい冷たかったのを覚えています。

そのときのことがぶわーっと蘇ってきて、そのことに自分自身で驚いてしまいました。

雅空に「おっきいばあばにさよならして」というと、「ばいばーい」と手を振っていました。
「なむなむしてね」というと、ちゃんと手を合わせます。

火葬が終わるまでに2時間くらい時間があったので、一旦葬儀場へ戻り、近親者でお茶を飲んで過ごしました。
雅空はどこに行っても愛想を振りまき、場を和ませていました。


お前はなんてよくできた子なんだ、とこのときばかりは思いました。

雅空は、祖母にとっての初曾孫、私の両親にとっても初孫、私は祖母にとっての初孫。
この関係、不思議というか、当たり前というか、なんとも奇妙な「縁」のようなものを感じます。

今は一番ちやほやされる存在ですが、20〜30年したら、恩返しせなあかんで、と今の自分を振り返って、思いました。
 
 
再度、火葬場に行き、お骨を拾いました。
祖父のときは、骨壺に入りきらないほどの大きな骨が残っていたのですが、ばあちゃんはとても小さな人だったので、骨もほんの少ししか残りませんでした。
聞くと、骨粗鬆症だったそうです。
いつでも、まわりの世話ばかりしていたおばあちゃん。
そういえば、おばあちゃんが食事をしている姿をあまり見たことがありませんでした。
そうやって、自分のことはあとまわし、みんなに気を配っていたんですね。
自分の体がぼろぼろになるまで気を使わなくってもいいのに。

全部の骨が骨壺に入ります、と言われたので、みんなで全部の骨を拾い集めました。
 
 
祖父母の家、今は主を無くした家に戻りました。
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お線香をあげて、お茶を飲んで、しばし休憩。
みんな、なんだかひどく、疲れていました。

遺影は私が撮った写真が使われました。
まだ雅空が生まれる以前、妻と二人で遊びに行ったときのもの。
まだお爺ちゃんは元気で、顔がプクプクしていました。
お婆ちゃんは脳梗塞の後遺症で少し弱っていたものの、遊びに来たことをとても喜んでくれました。

 
 
親戚らが帰ったあと、残った者で夕食でも、ということで、外出。
島根県芸術文化センター「グラントワ」へ向かいました。

島根県芸術文化センターは、「島根県立石見美術館」と「島根県立いわみ芸術劇場」の複合施設です。この施設は、石見地域の芸術文化拠点として、美術や音楽、演劇などの分野が相互に協調し、誘発し合いながら、多様で質の高い芸術文化の鑑賞機会を提供します。また、石見地域にはぐくまれてきた文化を大切にしながら、地域とともに新しい芸術文化を育むとともに、その創造をめざします。

愛称は、全国からご応募いただいた16,456点の作品の中から、厳正なる審査の結果、山口県の河原央明さんの作品「グラントワ」に決定いたしました。
「グラントワ(Grand Toit)」はフランス語で「グラン=大きい」、「トワ=屋根」の意味を持ち、島根県が誇る石州瓦をもちいた切妻(きりづま)屋根が特徴のひとつである当芸術文化センターをうまく表現しています。同時に力強さ・雄大さ・広がりを感じさせる語感があり、芸術文化の拠点にふさわしい愛称として決定いたしました。

田舎には似つかわしいほどの立派な施設です。

建物内もとても立派でお洒落です。


お洒落なレストランで食事。

レストラン、というよりは、カフェだったので、選ぶほどメニューが無かったです。
ハンバーグ定食的な何か、をチョイス。

雅空はここでもフードファイターぶりを発揮。
あっという間に食べ尽くしてしまいました。

私の両親と末っ子Kはこの日に広島へもどらなくてはならないため、ここでお別れ。
私と妻と次男坊R夫婦は益田駅隣のホテルグリーンモーリスに泊まりました。
次の朝9:30発の飛行機で羽田へ。

 
 
横浜に帰ってきてからは、どっと疲れが出て、夕方眠ってしまいました。
現代の人間は身体的な疲れよりも、精神的な疲れのほうが、きつく感じるそうです。

強行軍で行ってきましたが、雅空は疲れを知らないのか、ご機嫌で熱も出さず、頑張ってくれました。
今日も元気に保育園に行きました。
少し以前なら、すぐに熱を出していたのですが、本当にたくましくなりました。

私の父は、まだ市役所での手続きやら、四十九日の段取りなど、忙しく動いています。
自身も相当きついはずですが、息子の私には弱いところは見せようとしません。
団塊の世代(と一括りにしてはいけないかもしれませんが)、「武士は食わねど高楊枝」的なところは、私も似てしまったかもしれません(笑)
 
 
長々と書きましたが、まとまらないので、これで終わりにします。
今は悲しむよりも、前を向いて行きたいと思います。

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