【MOVIE】『火花』又吉 直樹 (著) 100分の1の成功者の話ではなく、残り99人のための物語

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火花 DVD スタンダード・エディション

ものすごく今更感たっぷりなのは重々承知の上で、それでもまだ観てなかったことが何となく引っかかっていて、このコロナ禍で時間が作れたのでようやく鑑賞できた。

売れない芸人の徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人である神谷と電撃的に出会い、「弟子にして下さい」と申し出た。神谷は天才肌でまた人間味が豊かな人物。「いいよ」という答えの条件は「俺の伝記を書く」こと。神谷も徳永に心を開き、2人は頻繁に会って、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする。吉祥寺の街を歩きまわる2人はさまざまな人間と触れ合うのだったが、やがて2人の歩む道は異なっていく。徳永は少しずつ売れていき、神谷は少しずつ損なわれていくのだった。お笑いの世界の周辺で生きる女性たちや、芸人の世界の厳しさも描きながら、驚くべきストーリー展開を見せる。笑いとは何か、人間の本質とは何かを描ききり第153回芥川賞を受賞、2015年の話題をさらったあの「火花」が待望の文庫化! 受賞記念エッセイ「芥川龍之介への手紙」を併録。2016年「朝の読書運動 高校生部門」1位。原作映画が2017年11月23日(木・祝)全国東宝系にて公開決定! 出演:菅田将暉・桐谷健太・木村文乃 監督:板尾創路

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火花 (文春文庫 ま 38-1)

正直、映画はオススメしない

原作を読んでいないし、ほとんど予備知識無かったので、まあそれなりに「こんなもんかね」という感想が正直なところ。
だれかにお勧めするかと言われたらさほどオススメしたい感は無い。

きっと原作はもっと面白いんじゃ無いかなと思わせる内容でもあった。
だいたい小説1冊まるごとを2時間程度に収めるのは無理がある、と常々思っている派なので今回もやはりそうかと首肯した次第である。

Netflixのドラマ版の方が評判が良いようである。

さて、ここからはネタバレがあるので、やだっていうひとは離脱推奨。

100分の1の成功者の話ではなく、残り99人のための物語

記事タイトルに書いたとおり、この物語は「100分の1の成功者の話ではなく、残り99人のための物語」というのが私の感想。

売れない若手芸人が主人公「徳永」と、同じく売れていないけど先輩芸人の「神谷」がお笑いの世界でぶつかり合う物語。
青春とか人生とかを少しだけ考えてしまうようなストーリー展開。

競争の激しいお笑いの世界でしのぎを削る若者たち。
そういう世界を描くからには100人に1人の成功者のドラマチックな展開を描くのかと思いきや、主人公はずっと売れないままで終わる。
それは成功者の成功の物語ではなく、「成功しなかった」残りの99人が、これからどう生きるべきか、という著者の想いが端的に表現されている。

成功者の成功の物語は巷にあふれている。
人は皆、若い頃は特に、成功者に憧れ、そのストーリーを欲する。
しかし成功者の成功の物語はほとんどが再現性が無く、真似ても成功することは限りなくゼロに近い。

一方で成功者が成功した、その後ろには、多くの「負けた人」がいる。
齢を重ねるにつれ、その負けた人に自分を重ねることになる。
芸人の世界ではそれはとても早いスピードで成功者と負け組がはっきり分かれ、否応なく現実を突きつけられることになる。

それでも時代が変わっても、成功者に憧れる人は後を絶たない。
受験であれ、仕事であれ、なんであれ、ほとんどの人は「負けた人」になるというのに。

見るべきは「負けた人」の「次のステージ」なのだ。

徳永も神谷も、嘘偽り無く努力したし、がんばった。
でも「負けた人」になった。
成功者はスポットライトを浴び、負けた人は忘れ去られる。

では、負けた人は「必要なかったのか」。
成功者だけが表舞台に立ち、まるでそこだけが世界のすべてのように見られている。
しかし神谷は「負けた人も必要だった」という。

勝ったやつはそいつだけの実力だけで勝ったのでは無い。
多くの負けたやつらがいたからこそ、頑張れたはずだと。

負けた人は負けたらすべてが終わりになるのでは無く、ただその勝負の結果が「負け」になっただけで、「終わり」ではないのだ。
「バッドエンドはない、僕たちは途中だ」という台詞にすべてが込められている。

負けても終わりじゃ無い、という呪文

歳をとると、「自分が思っている自分」と「他人が思っている自分」とのギャップがだんだん大きくなっていくような気がする。
20代のころはまだ自分は10代だと思っていた。
30代のころはまだ自分は20代だと信じていた。
40代になってもまだ自分は30代だと感じていた。
40代後半になって、身体にガタがきて、思ったようなアウトプットができなくなってきて、初めて気づく。
あ、もう俺40代終わるじゃん。

これまで何をやってきたのか。
同じ世代の人と比べて、稼げているか。
同じデザイナーと比べて、よいデザインが生み出せているか。
同じ父親世代と比べて、子どもたちと向き合えているか。

何もできてないじゃん。
何も勝ててないじゃん。
何も成し遂げてないじゃん。
と思う。
比べても意味が無いことは頭では分かっているのに。

ここ1〜2年はずっと、モヤモヤとした想いが頭の裏側にこびりついて剥がれなかった。
「俺は負けた人、なのだ」ということを受け入れればいいことも分かっていたのに。

徳永は「芸人を引退した」と言った。
神谷は言う。「芸人に引退は無い」。
「芸人は辞めても、これまでの時間ずっとおもろいことを考え続けてきたそのお笑いの反射神経はなくならない。
芸人じゃ無いのにごっつおもろいやつになるんや。それは無駄にはならへん。」

何も成し遂げてないけど、何も勝ててないけど、自分自身に嘘偽り無く生きてきたことは間違いない。
どうやったら稼げるかを考えてきたし、
どうやったらいいデザインが生み出せるかを考えてやってきたし、
子どもたちを愛しているし。

それはたぶん、無駄にはならないし、無駄にしてはいけないのだろう、と思う。
負けても、終わりではない。
まだ、まだまだ、人生は続くのだ。
自分を騙してでも、まだ終わりじゃ無い、と信じて進め、俺。

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