【BOOK】『夜がどれほど暗くても』中山七里:著 いつか夜は明けるということ

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何の前知識なしに、タイトルだけで手に取った。いわゆる「ジャケ買い」である。
ラストのどんでん返しもさることながら、自分の制御できる範疇を越えたところで周りからの評価が180度変わってしまうことの恐怖、をこれほど感じた作品はない。

遅ればせながら中山七里さん本は初読である。
いや、正確には短編をいくつか読んで、この人の本は面白いに違いない、と確信していた。
期待通り、2日くらいで一気に読んでしまった。

志賀倫成(しがみちなり)は、大手出版社の雑誌『週刊春潮』の副編集長で、その売上は会社の大黒柱だった。志賀は、スキャンダル記事こそが他の部門も支えているという自負を持ち、充実した編集者生活を送っていた。だが大学生の息子・健輔(けんすけ)が、ストーカー殺人を犯した上で自殺したという疑いがかかったことで、幸福だった生活は崩れ去る。スキャンダルを追う立場から追われる立場に転落、社の問題雑誌である『春潮48』へと左遷。取材対象のみならず同僚からも罵倒される日々に精神をすりつぶしていく。一人生き残った被害者の娘・奈々美から襲われ、妻も家出してしまった。奈々美と触れ合ううちに、新たな光が見え始めるのだが……。

引用元:夜がどれほど暗くても | 中山七里 |本 | 通販 | Amazon

本書での大きなテーマは
・「個人の正義」の無自覚さと「集団の正義」の暴走
・信じていたものがいとも簡単に覆る無情
にあるのではないかと感じた。

「個人の正義」の無自覚さと「集団の正義」の暴走

本書の登場人物のみならず、現実の世界でも市井の人々はひとりひとり自分の正義に基づいて行動している。あえて悪いことをしようという人間はそう多くない。
そして、本人は悪いことをしている、という自覚はない。むしろよいことをしているとさえ思い込んでいる節がある。
この「無自覚な正義」ほど、やっかいなものはない。
さらに、ここに「匿名」であるという属性が加わると、「集団の正義」として暴走し始める。

ーーーーー以下、ネタバレ注意ーーーーー

「取材対象の一人や二人、死のうが潰れようが関係あるか。それより雑誌が売れるかどうかだろ」

本書の冒頭の一文である。

全体を通して、ネットでの誹謗中傷問題、匿名であるが故の残虐性が随所に見られる。
主人公・志賀倫成(しがみちなり)は『週刊春潮』の副編集長である。
もちろんこれは『週刊文春』がモデルであることは言うまでもないだろう。
『文春』といえば、「文春砲」という言葉があるくらい、スキャンダルが最大の目玉となっている大衆誌だ。
そうしたスキャンダルは、結局のところ他人の醜聞をネタにしており、取材された側も読んだ側もだれも必要とはしておらず、誰も幸せにはならない。
だが、大学生の息子・健輔(けんすけ)が、ストーカー殺人を犯した上で自殺したという疑いがかかったことでドラマが動き出す。
これまで他人の醜聞で部数を稼ぎ、我が世の春を謳歌していた志賀は、一夜にして私生活を追われる立場となる。

ネットでの誹謗中傷をテーマにした作品は、近年増えている気がする。
特にテレビドラマでは親和性が高いのか、多くなっている。
ぱっと思いつくのは、『アノニマス 警視庁「指殺人」対策室』香取慎吾主演のドラマ。ネットでの誹謗中傷、炎上させ死に至らしめることを「指殺人」として捜査する。
アノニマス~警視庁”指殺人”対策室~|テレビ東京

あとは『アバランチ』綾野剛主演のドラマ。司法では裁ききれない悪へのカウンターとして、動画サイトを活用した暴露で大衆に問う。
アバランチ – フジテレビ
(アバランチに関してはラストがどうにもテーマを台無しにしていると思うので残念な作品だなとは思う)

いずれの作品も、ネットでの誹謗中傷や炎上をテーマにしつつ、最も強大な力を「大衆の世論」と位置づけている。
そして、その世論には何人も勝てない、という構図で話しが展開していく。

だが、本書ではここが少し違う。
大衆の世論はたしかに強大な力、もはや権力と言ってもいいくらいに強いものだが、それは偏りがあり、匿名だからこその「個人の正義」の塊であるという風に描写されている。
仕事だから、雑誌が売れるから、視聴率がとれるから、知りたいという視聴者がいるから。
そんな理由を翳して、拳が振り下ろされる。
しかし、そんな拳は、自分が制御できない理由で、あっという間にひっくり返ってしまうのだ。

信じていたものがいとも簡単に覆る無情

盤石だと思っていた夫婦関係・親子関係。
揺るぎないものだと思っていた仕事。
叩く側から叩かれる側へ。
これまで信じていたものが、あっという間にひっくり返る。

立場が逆転した瞬間の描写が圧倒的にリアルだ。

マイクとICレコーダーにカメラ、そして人人人。悪意と好奇心をむき出しにした顔と手が二人に襲い掛かる。あっという間に揉みくちゃにされ、鞠子を抱えていた手が解けそうになる。
質問攻めにされる側からの光景はこんな風だったのか。

「通してください」
そう言うのがやっとだった。本当に疚しいところがないのならカメラとマイクの前で堂々と身の潔白を訴えればいいだろうという従前の思い込みは、完膚なきまでに粉砕された。悪意と好奇心の放列に晒されると、どんな人間でも平常心を失う。自分がひどく矮小な人間に思え、孤立無援だと思い込んでしまう。

追う側と追われる側がいともたやすく入れ替わってしまう。
その脆さや危うさはいったい何がそうさせているのか。

その答えを著者はこう記す。

「傷つけられたら当然こうなる。他人を無責任に傷つけて平然としていられるのは傷口が見えないからだ。痛いことに想像が及ばないからだ。もちろん傷つくのは肉体だけじゃない。心もだ」

叩いた側に想像力が欠如しているからだ、という。
たしかに、傷口が直接目に見えれば、自分が正しいと思い込んでいる者ほど一瞬でも躊躇するだろう。
自分が正しいと思ってやったことが、こんなひどい傷を作っていたなんて、と。

ラストは「どんでん返しの帝王」と呼ばれているらしい著者の真骨頂。
ミステリーならではの「まさかあいつが」というカタルシスを充分に味わえる。

章立ての最終章は「五 日出<<にっしゅつ>>(日はまた昇る)」となっている。
これがタイトルを受けてのアンサーになっている。
「夜がどれほど暗くても、また日は昇る」

タイトルからの「ジャケ買い」が大正解だったことは言うまでもない。

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