【野球】WBC日本代表「侍ジャパン」優勝 世界一を奪還に思う「日々鍛錬」の凄み

aerial photography of baseball stadium
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2023年3月22日、野球のWBC(World Baseball Classic)で、日本代表である「侍ジャパン」が優勝し、世界一の称号に輝いた。
決勝戦はアメリカ代表との戦いで、日本は3−2で勝ち、3大会ぶり3回目の優勝。

まるで漫画の世界から飛び出してきたような選手たちが、漫画を越えて映画を越えたシナリオで、これ以上は無い最高の形で大会を締めくくった。
MVPはもちろん、大谷翔平。
二刀流のメジャーリーガーとして、今や野球を詳しく知らない人でも名前や顔を知っている、そんな世界の有名人になった。

野球少年がそのまま大きくなったような大谷翔平の夢が実現

大谷翔平については本が何冊も書けるほど、さまざまな情報がネットやメディアにあふれている。
そんななかでも特にすごいと感じているのは、彼が高校1年生の時に作ったとされる「マンダラチャート」である。

これ、似たようなものを作ってみようと実際にやろうとしたことがあるが、結果から言うと挫折した経験がある。
とにかく目標を具体的に言葉にしなくてはらないので、曖昧なイメージではマスを埋めることすら難しい。
目標が決まったとしても、それをどうやったら実現に近づくのかがイメージできないと、書けない。
おそらくだが、一人で悶々と考えるというよりは、周囲の人たちに助言を仰ぎながら完成させるのがよいのだろう。

そして、さらにすごいのは、高校3年生で作ったとされる「人生設計ノート」。
これには「27歳でWBCのMVP」と書いてあるという。
ほぼ実現してるやん・・・。
実際には大谷翔平は1994年7月5日生まれなので、満年齢だと28歳になるが。

絶対に人生1周目ではないと思う。
ていうか、28歳は子どもが生まれるのか?

野球という摩訶不思議で複雑で超絶楽しいスポーツは唯一無二

野球に詳しくない人にはあまり知られていないというか、気にされてはいないと思うが、野球は世界でも希なルールの複雑なスポーツである。
公認野球規則というルールブックがある。

一般向けに市販もされており、単行本で234ページある。
ひとつのスポーツのルールブックとしては異常な物量である。

 
この複雑さが、世界的な競技人口の広がりを妨げていることは自明だろう。
現に、もっともルールがシンプルだとされるサッカーは、全世界的に競技人口が多い。
もちろん、競技に必要な用具や場所の整備など、さまざまな事情はある。

野球を少し本格的にやってみると、野球は「確率のスポーツ」「準備のスポーツ」と言われることに肚落ちするだろう。
「確率のスポーツ」というのは、プレイヤーが多人数で、且つそれぞれの役割が明確に分けられており、さらにシチュエーションによって瞬間的に次の展開の選択肢が複数あり、次の瞬間にはまた複数の選択肢があり、といった具合に数万以上の「次の手」を読み、それに対応することでようやく勝利につなげることができる、というスポーツなのだ。
中学生くらいで本格的に野球を学ぶ際には、こんなに細かいことまで気にするのか、と驚くようなことが日常的にある。
例えば、試合の際、試合会場に着いたらまず、グラウンドのコンディションを確認する。
土なのか、芝なのか。芝も天然芝と人工芝があり、ボールのはね方が違う。
ボールも、硬式球の場合は表面が本革で作られており、その日の湿度に影響される。
湿度が高ければ、皮が水分を吸いボールは若干重くなる。バットでのはね方も違うので、当然バッティングにも影響する。
うまく打ったと思っても、案外と飛ばない、ということがある。
逆に湿度が低いと、空気中が乾燥している、ということであり、ボールは軽くなる。
飛距離も伸びる。ということがある。

外野手であれば、フェアゾーンとホームランゾーンとを隔てる外野フェンスの硬さ、強さ、ボールのはね方を事前にチェックしておく。
フェンスギリギリのボールが飛んできたとき、フェンスに直撃すると判断したら、すぐにフェンスから離れて、跳ね返ったボールを処理しなければならない。
1秒、いやコンマ数秒の判断で、相手に点を取られるか、阻止するかが影響するのである。

こうした「準備」は挙げればきりが無い。
それは野球というスポーツが「確率のスポーツ」だから、次の瞬間に何が起きても対応できるように、と考えれば自然と「準備」を行うしかないからだ。
未来のことは誰にも分からない。
もちろん当たり前である。
だが、分からないからといって何もしなくていい、ということではない。
分からないなりに、ある程度予測されることに対応できるように、徹底して準備を怠らない。
それが結局は勝利に近づく最善手なのである。

つまり、「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」である。

釣り糸を垂れ続けなければ魚は釣れないし、打席に立ち続けなければ安打は生まれないのだ。
虚無蔵さんの言葉であり、行き着く先は武士道精神である。

今回、日本代表の最年長選手であるダルビッシュ有投手は、大谷翔平のすごさは二刀流だからすごいのではない、という。

ホームランを打ってすごい、ピッチャーとしてもすごい、というのは結果であって、その結果を出すために日々どれだけの工夫や鍛錬をやっているのか、ということが大事であるという。

大会の全選手中、最多打点を叩き出した吉田正尚選手は、夢を実現するため、己を鍛えるために、重量挙げメダリストの室伏広治にトレーニングを指南してもらっている。
きっかけは自分から手紙を書き、会いに行き、弟子入りしたという。
その決断力、行動力はもちろん、一流の選手はそうやって日々鍛錬しているのである。

ラーズ・ヌートバー選手は、小学生のころ、アメリカの家で日本の高校生日本代表選手をホームステイのホスト役として迎え入れた経験がある。
当時9歳だったヌートバーはあのハンカチ王子こと斎藤佑樹とも交流し、「いつか僕の母国、日本を代表して戦いたいです」と、日本の野球に対する憧れを持つようになる。

そして彼は本当に野球を好きになり、やがてメジャーリーグでプレーするほどの実力を持った選手になった。
メジャーリーグでの成績は、あの鈴木誠也選手と同等と言っていいほどの成績を収めている。

結局、「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備え」ることが大切で、そうした地道な積み重ねの果てに、打席に立ち続けることができ、やがて結果が伴う、ということを示唆している。

「ベースボール」vs「野球」の戦いは、野球に軍配が上がった

people watching baseball
Photo by Jimmy Conover on Unsplash

アメリカのメジャーリーグに代表される現代ベースボールは、データの上に成り立つロジックによって武装され、限りないパワーによってそれを後押しする、という様相を呈している。
それは、ブラッドピッドが主演した映画『マネーボール』で世に知られることとなった。

ゲームにおけるあらゆる側面が撮影・録画・記録されることで可視化され、そのデータを基に選手の行動をロジカルに定義し、選手たちは忠実にそれを実行する、という戦い方をしている。
守備では、打者の打球方向のデータから、その方向へ打球が飛ぶのかを予想、それをカバーするための守備陣形を変えたシフトを実行する。
攻撃側は、投手のあらゆるデータを取得し、対策を練る。
どんな球種があるのか、球速はどうか、変化球の種類は、曲がり方は、セットポジションでの癖はないか、など、細かいデータを積み重ねていく。
そこまでデータとロジックで詰めておいて、さらに身体を大きく強く鍛えあげ、どんな守備陣形でも関係なく得点できるホームランを量産できるよう、トレーニングメニューを開発する。
現代の「ベースボール」はそういうスポーツになっている。

かつて、イチローは「頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような」と語った。

一方で、現代の日本の「野球」はどうだろうか。
主に学生の野球選手たち、中学生や高校生の野球選手たちも、意識はNPB(日本プロ野球機構)やMLB(メジャーリーグ)にある。
特に近年では、NPBを経由せずMLBを目指す、という若者もいる。
そこには「NPBはMLBより格下」という思いが見え隠れする。

格下であるかどうかは、いったん脇に置いておくが、NPBの延長線上にMLBがある、と考えている高校球児はあまりいない気がする。
やはりそこは、同じ野球ではあるが、別の競技であるという意識はあると思う。

日本の野球、特に高校野球においては、緻密な作戦と、厳然とした指揮命令系統のおけるサインの実行、そしてあらゆる可能性を考慮した準備・確認行動によってもたらされる確率を引き寄せる動きが、実力を培う競技、と言っても差し支えないと考えている。

高校野球においては、過渡期に来ているという考え方もある。
戦後から昭和、平成にかけての高校野球は、軍国主義時代からの名残としての「上意下達」の組織戦であった。
やがて、だんだんと「ビジネス」としての側面が色濃くなり、現場との空気の違いが目立つように感じる。
過渡期というのは、新しい考え方で野球というスポーツそのものを見直しているチームもあれば、古来からの組織中心の精神性を脊髄としたチームもあるという、混迷期ともいえる時期に差し掛かっている。

競技そのものにおいても、メジャーリーグのようにパワーで押し切る、という考え方は少ない。
漫画や映画の世界ではそういったものが多いが、現実とは大きく違う。
確実に出塁することが最善手とされ、そのためには、安打を打つこと以外でも、例えば四球や死球を選んでもいいし、無理に打ちに行かなくてもバントであっても出塁することができればいい。
次の打者へつなぐことでランナーを貯めつつ、少しずつ攻めていくという考え方がセオリーとして語り継がれている。
マラソンというよりは駅伝の思想に近いかもしれない。
そこには、チーム一丸となって、という手垢のついた言い回しが最もよく表しているが、農耕民族的な発想が根強い。

世界でもトップクラスのスポーツマネーを動かし、データとロジックとパワーの「ベースボール」と、農耕民族的な発想で次へつないで、コツコツと1点を積み重ねていく「野球」との対決は、果たして「野球」に軍配が上がったのが、今回のWBCであった。

あらゆる可能性を追求し、日々鍛錬することで己を磨き、いつ来るとも分からぬ「チャンス」をモノにできるよう、ストイックになるという、武士道精神が世界に通用した瞬間であった。


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