【BOOK】『ラストワンマイル』楡周平:著 腐らず次の一手を常に模索することの意義

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「安定は情熱を殺し、緊張、苦悩こそが情熱を産む」フランスの哲学者アランの言葉は、全ビジネスマンの胸に届くべき言葉だ。
宅配最大手の『暁星運輸』広域営業課長・横沢は、郵政民営化により郵便局が宅配事業者とガチンコ対決となる中、ネットショッピングモール最大手『蚤の市』から法外に安い運送料金を迫られる。大手コンビニチェーンの宅配事業も奪われ企業存続の危機に陥る。起死回生の一手は「出店料無料のネットショッピングモール」事業の立ち上げ。『蚤の市』vs『暁星運輸』の戦いの横では、『蚤の市』による『極東テレビ』株大量買いによる敵対的買収が絡み、企業同士のビジネスバトルが繰り広げられる。

ラスト ワン マイル (新潮文庫) | 周平, 楡 |本 | 通販 | Amazonより引用:

本当に客を掴んでいるのは誰か──。暁星運輸の広域営業部課長・横沢哲夫は、草創期から応援してきたネット通販の「蚤の市」に、裏切りとも言える取引条件の変更を求められていた。急速に業績を伸ばし、テレビ局買収にまで乗り出す新興企業が相手では、要求は呑むしかないのか。だが、横沢たちは新しい通販のビジネスモデルを苦心して考案。これを武器に蚤の市と闘うことを決意する。

著者の作品は、まだ私が若い頃、デビュー作『Cの福音』を読んで以来だ。
当時は正直そこまで読みやすいとも思っていなかったのだが、本作を読んでこんなにもリーダビリティに優れた文体に驚いた。
文章がスラスラと頭に入ってくる。
クセが無く、非常に読みやすい。

ラストワンマイルの意味

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Photo by Kira auf der Heide on Unsplash

商売の基本は、商品を売る契約をとり、商品と引き換えに代金を頂戴することだ。
言い換えれば、営業(契約)、配達、決済(回収)というところか。
もっと大きくビジネスという視点で見れば、1本の長い道の最後「ラストワンマイル」に位置する物流業界が「配達」と「決済」機能を持つキーパーソンとなっているのは、現代では周知の事実だ。

ラストワンマイル|用語集|物流事例・お役立ち情報|大和物流株式会社より引用:

物流におけるラストワンマイルとは、最終拠点からエンドユーザーへの物流サービスのことをいいます。

「最後の1マイル」という距離的な意味ではなく、お客様へ商品を届ける物流の最後の区間のことを意味します。

本作が書かれたのは2005年〜2006年、フジサンケイビジネスアイでの連載を元に2006年書籍化された。
モデルはおそらく、2005年の楽天によるTBSへの敵対的買収と、ライブドアによるニッポン放送株敵対的買収というニュースだろう。
(その前にニッポン放送の筆頭株主であった村上ファンドによるフジテレビを含めた持ち株会社設立騒動もあったか)
そのままそっくりというわけではなく、いろんな要素をハイブリッドしたようだ。

これらの”事件”は日本の経済史においても、前代未聞の買収劇であった。
(連載元が買収された側でもあるグループ内のフジサンケイビジネスアイであることも興味深い)

さらに、最大手のネットショッピングモール「蚤の市」は「楽天市場」がモデルで、創業者・武村慎一は楽天の三木谷社長がモデルであることは容易に想像できる。
もっと言えば、主人公・横沢の「暁星運輸」のモデルは「宅急便」最大手のクロネコヤマト。
「宅急便」はヤマト運輸の登録商標で、他は「宅配便」と呼称するのは有名な話だ。
(厳密にはヤマト運輸の親会社・ヤマトホールディングスの登録商標)

物流業界のポテンシャル

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Photo by Ruchindra Gunasekara on Unsplash

著者の経歴に米国企業日本法人(写真業界大手コダック)で80億円に及ぶ物流プロジェクトを手がけていた、とある。
そうした経歴から生まれた本作の前には、『再生巨流』(2005年)を上梓している。
「今日、注文すれば、明日届く」の「アスクル」をモデルにした小説だ。

実際の物流の世界を知っている著者だからこその圧倒的なリアルさに裏打ちされた良作である。
さらには2016年には『ドッグファイト』を上梓。
世界的ネットスーパーを目指す大手外資系通販会社と、国内第1位の物流会社との戦いを描いた物語だ。

本作が書かれた2005年当時にすでに、物流の重要性を見抜き、エンターテイメントに仕上げた著者の慧眼には感服する。
現代でこそ、ネットショッピングはごく普通の買い物手段のひとつになっている上に、ヤフオクやメルカリにようなC to C(個人間取引)も活発になっている。
「買い物」=「商取引」自体の数が膨大に膨れ上がっている。
取引数が多くなれば、運ぶ「荷物」も増えていると言える。
買い物そのものや、決済までは今やスマホひとつで完結できる。
だが、商品を手元に運ぶのは、今も昔も運送業者を介さないとできない。
それが「ラストワンマイル」を握るということだ。

一方で、おそらく楽天市場がモデルとなった『蚤の市』は、本作では「虚業」という描かれ方をしている。
物理的な資産を多く持たず、時価総額が高い=株価が今後も上がるという期待値 だけで資金調達をしており、銀行や外銀からの融資が無ければTOBが難しい、といったロジックが、最後に思わぬ形で決着を見る。
当時の連載の読者層から考えると、こうした構造はある意味必然だったのかもしれない。
ただ、『蚤の市』の武村(楽天の三木谷社長? ライブドア時代の堀江貴文?)に関しては、ただのIT長者という描き方ではなく、日本の古い体質をぶち壊す気概を持った人物として描いている。

ラストワンマイルの課題

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Photo by Rowan Freeman on Unsplash

本作が書かれた当時と現代では、物流業界を取り巻く情勢は大きく変化している面も多くある。
昨今、課題として挙げられているのは、
・「送料無料」と人件費高騰
・再配達による非効率性
が挙げられるだろう。

「送料無料」を謳うネットショップは多い。
AmazonなどはAmazonプライム会員であれば、ほとんどの商品は送料無料となっている。
実際には商品価格に送料が上乗せされているケースもあるようだが、送料無料な上に配達自体もほぼ翌日に届くものがほとんどである。
商品価格に送料がこっそり上乗せされていたとしても、たいていの場合は送料のディスカウントは行われており、そのしわ寄せは運送業者へ行くのだろう。
実質的に運送業者側の利益率は小さくなり、そのしわ寄せは結局のところ従業員への人件費という形で絞られていく。
だが、人件費を削りたくても配送を担当する人員自体が少なく、なり手がいないことから、結局は従業員の賃金を上げざるを得ず、人件費が高騰することとなる。
本来的には商品の送料自体に価格転嫁すべきだろうが、「送料無料」を謳っている手前、送料を上げることはできないのである。

また、宅配事業者にとって最大の鬼門は、再配達だという。
個別配送において、届け先が不在の場合はいったん持ち帰らざるを得ない。
荷物自体に日付指定や時間指定があれば、それは指定までに届けなければならない。
不在かどうかを確実に確認する術はないので、再配達するしかない。
1個の荷物に対してのコストが再配達によって倍になるのである。
この再配達が増えれば増えるほど、コストが嵩み、その影響は運送事業者に重くのしかかる「荷物」なのだ。

本作とは関係ないのだが、宅配事業者を描いたドラマ『あなたのブツが、ここに』は非常に面白かった。
2022年度のドラマの中でも5本の指に入るくらい(個人的に)面白かった。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

「安定は情熱を殺し、緊張、苦悩こそが情熱を産む」

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Photo by Jacqueline Munguía on Unsplash

フランスの哲学者、アランことエミール=オーギュスト・シャルティエの『幸福論』の中にある一節である。
アランの『幸福論』は、人間が幸福になるための方法を論じた著作である。

彼は、幸福とは安定した状態であり、外的な要因に左右されるものではなく、内面から生まれるものであるという。
そして、その内面から生まれる幸福は、自己実現、他者とのつながり、そして意味ある活動によって実現されると述べている。
彼は、幸福は永遠に続くものではなく、一時的なものであるとしている。
幸福を追い求めること自体が幸福ということではなく、むしろ今この瞬間を大切にすることだと主張している。
幸福についての哲学的な論考は現実の問題にも適用することを提唱しており、人間が幸福になるためには社会的な正義や自由、倫理的な行動が必要不可欠であるとしている。

幸せとは、と考えたときに「万事塞翁が馬」という言葉もあるように、洋の東西を問わず考え方としては普遍的な側面があるのだと思う。
本作に登場する主人公・横沢も、寺島も、「蚤の市」の武村も、仕事に対して情熱を持ち、道を切り開いていこうという姿勢が描かれている。
「暁星運輸」と「蚤の市」はストーリー上、対決することになるが、どちらも「悪い奴」という風には描かれていない。
あくどいと感じるのは、自らの利益しか考えていない古い体質の銀行や外銀、ハゲタカ集団と呼ばれるファンドだろうか。

仕事において、困難な状況に追い込まれてしまったとしても、今この瞬間を楽しみ、前を向き、情熱の火を絶やすこと無く道を切り開く。
そんな仕事に対する姿勢は、今を生きる我々も見習わなければならないだろう。
「安定は情熱を殺し、緊張、苦悩こそが情熱を産む」
という言葉を胸に。