【BOOK】『永遠についての証明』岩井圭也:著 世界で最も美しい数学と友情の物語

a blackboard with a lot of writing on it
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なんという美しい物語なのだろうか。
数学の世界の純粋性と人が人を想う真っ直ぐな純粋性との完全なる調和。
森に代表される自然界の摂理と深遠さ。
自然と宇宙との運動に身を任せることで得られる圧倒的な世界への手がかりが脳内で煌めく瞬間の、なんと饒舌なることか。
「21世紀のガロア」とも呼ばれた数学の天才・三ツ矢瞭司と、その天才に嫉妬しながらも憧れ、愛したもう一人の数学の天才・熊沢勇一の、数理の世界でしかつながり合えなかったふたりの友情に胸が締め付けられる。


Amazon.co.jp: 永遠についての証明 (角川文庫) : 岩井 圭也: 本

「数学」は「言語」である

Matrix movie still
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「数覚」に恵まれなかった私にとって、数学とはなんだかよく分からない学問の筆頭に挙げられる。
思えば小学校で学ぶ算数のころからその兆候はあった。
国語や理科や社会に比べて算数は抽象的すぎたのだ。
数学になるとさらにその抽象度は高くなる。
抽象的な世界の話を上手くイメージできたなら、きっと世界の見え方も変わっていたかもしれない。
だが、中学に上がっても高校生になっても、数学の世界は遠く、漫画やアニメや小説の世界のほうがはるかに身近に感じていたものだ。
高校2年からは文系の進路を選択したため、数学そのものに触れる機会はなくなった。

大学は文系で受験したが、なぜか大学の授業の必修科目に「数Ⅰ」「数Ⅱ」が登場し、大いに困惑した。
いや、困惑というか太刀打ちできなかった。

大人になって社会人になって、仕事で様々な経験を経たことで、あれほど理解できず別世界のように感じていた数学の世界が、実は論理を積み重ねて表現する「言語」であることに、ようやく思い至った。

三ツ矢瞭司は四国の田舎町に生まれ育った。
家の庭は、すぐ隣の森へとシームレスにつながり、瞭司の幼い頃からの遊び場であった。
数の世界に没頭する瞭司にはまだ、森を表す「言葉」が見つからなかった。

数学の世界は瞭司にとって、世界を拡張する手段でもあった。
やがて小沼に見いだされ、協和大学へ進学し、熊沢や佐那、ゼミの先輩である田中や木下といった仲間たちとのつながり、瞭司の世界は格段に広がっていった。

「数学」とは「世界とつながるための言語」

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Photo by Jeswin Thomas on Unsplash

ほとんどの人にとって、その人の持つ「世界」が広がるのは他人と接することで成される。
ただ類い希なる「数覚」を持った瞭司には、数の世界が「見える」ことと引き換えに、現実世界での対人コミュニケーションは苦手だ。
そのため現実の世界が広がるタイミングが熊沢や佐那と出会ったころだったのだ。

熊沢や佐那との共同研究が実を結び、数学界での有名人となった瞭司は、常に飢えていた。
同じ「数学」の言葉で語り合える友を。

最初は小沼だった。
小沼だけが瞭司の「言葉」を理解できる人間だった。
協和大学へ入学し、熊沢や佐那と出会い、言葉を交わすことが出来る友を得たのだ。

瞭司は晩年「コラッツ予想の肯定的証明」をノートに残していた。
その理論とはノートに200枚以上に渡って記されていた。
まずはその理論そのものを理解しなければ、コラッツ予想の肯定的証明は理解できない。
そしてその理論は「プルビス理論」と瞭司は呼んでいた。
それは、かつて過ごした家の裏庭に通じる森を表すことが出来るかもしれない「言葉」であった。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

数学を作った天才たちの爪痕

brown concrete building under blue sky during daytime
Photo by Sam Moghadam Khamseh on Unsplash

本作には数多くの「数学用語」が頻出する。
もちろん数学に詳しくなくてもストーリーが分からなくなるということはない。
ただ、少しでも数学用語についての知識があると、より深く味わうことが出来るだろう。

いくつかの数学用語について、私自身もまったくこの方面には明るくないため、僅かではあるが調べてみた。

・プルビス理論

 おそらく著者の造語。コラッツ予想を証明するために瞭司が考えていた根幹を成す理論。
 「塵」をイメージしていることからラテン語の「プルビス」と名付けられた、とされている。
 これは推測ではあるが、江戸時代の算術書のベストセラーに『塵劫記(じんこうき)』というものがある。
塵劫記 – Wikipedia

 江戸時代、戦がなくなり商業が発展した社会が形成される中、民衆にも算術が必要性を強めていたことから、ベストセラーになったという。
 この『塵劫記』の「塵」から取ったのではないか、と私は勘ぐっている。

・コラッツ予想

 正の整数 a をスタートし、奇数ならば3倍して1を足す、偶数ならば2で割ることを繰り返すと、いずれ必ず1になるという予想。
 未だに証明されていない数学界の難問。
 瞭司が自身のノートに証明の結論を書き記していたことから、熊沢が途中の証明を完成させるべく動いていた。
 コラッツ予想(コラッツの問題)とは | 数学の景色

・弦理論

 粒子を0次元の点ではなく1次元の弦として扱う理論、仮説のこと。ひも理論、ストリング理論とも呼ばれる。
 と、Wikipediaにあったが、私には何のことだか理解の範疇を超えている・・・。
 本作では熊沢が主に研究していた分野。
弦理論 – Wikipedia

・フラクタル理論

 ある図形の部分と全体が自己相似(再帰)になっているものなどをいう。
 本作では瞭司が夢中になった理論で、「バーニングシップ・フラクタル」(=燃えさかる船のようなかたち)といった表現で登場した。
 瞭司はこのフラクタル理論は世界の全てを表現できるかもしれない、と考え、実家の裏庭から続く森や自然を表せる「言語」と捉えていたのではないかと思う。
この世界を支配する美しき法則「フラクタル」《宇宙一わかりやすい科学の教科書》 | 天狼院書店

・マンデルプロ集合

 前述の「フラクタル理論」を語る中で登場する考え方のひとつ。
マンデルブロ集合 – Wikipedia

・岩澤理論

 岩澤健吉が円分体の理論の一部として提唱し、バリー・メイザーやラルフ・グリーンバーグ、クリストファー・スキナーらによって洗練・確立された、(無限次元拡大の)ガロア群のイデアル類群における表現論である。
 どの説明部分もひとつとして理解できない…。
 本作では瞭司を見いだした小沼の専門領域として登場している。
岩澤理論 – Wikipedia

・ムーンシャインの一般化

 有限群と数学的対象の間に、予想外の関係があることを示している。
 本作では、瞭司を筆頭に熊沢や佐那とともに研究を重ね、論文を発表した際の理論として登場している。
 瞭司にとっては、人生で最も幸せな時期だったのかもしれない。
 後述するが、この「ムーンシャインの一般化」が「予想外の関係性に気づく」というフックとして機能していることに読後気づいたときは鳥肌が立った。
モンストラス・ムーンシャイン – tsujimotterのノートブック

なぜ「ムーンシャイン」なのか、という説明に感嘆が漏れる…。

・掛谷予想

 「掛谷問題」長さ1の線分を領域内で1回転させることのできる図形のうち、面積が最小の図形は何か?
 に対する掛谷自身の予想のこと。
掛谷問題 ~線分を回せる面積最小の図形を求めて~ – Corollaryは必然に。

・ガロア理論

 代数方程式や体の構造を “ガロア群” と呼ばれる群を用いて記述する理論。
 とWikipediaには書いてあるが、もちろん私には理解できない。
エヴァリスト・ガロア – Wikipedia

 本作では瞭司を評して「21世紀のガロア」と呼んだり、「非可換ガロア群の岩澤理論」という言葉でさらりと登場している。
 数学界の難問「フェルマーの最終定理」や「abc予想」などでも活用される理論らしい。

 まったくの余談だが、数学そのものをエンターテインメントとして紹介したEテレの番組『笑わない数学』の最終回に登場した理論。30分枠で放送された「ガロア理論」のエッセンスのビジュアライズは圧巻である。
#12 ガロア理論 – 笑わない数学 – NHK

・フィールズ賞

 数学界最高の栄誉ある賞。ノーベル賞のように毎年贈られるものではなく、4年に一度定められる賞。
 なお、これもまた余談だが、数学者たちの天才っぷりを面白く紹介している動画が非常に分かりやすい。
【数学をつくった天才たち①】数奇な運命を辿った愛すべき変人 – YouTube

【数学をつくった天才たち②】数学とは異常な天才が楽しむ最高の学問 – YouTube

著者である岩井圭也さんご自身は、数学は苦手とのことだが、それでもこうした小説を書き上げる技量やセンスには脱帽する。
若き数学の天才たち、その青春と苦悩 岩井圭也さんデビュー作「永遠についての証明」|好書好日

この中で登場人物たちにモデルがあるのかと尋ねられた岩井さんは、「瞭司に関しては、本で読んだ天才数学者たちの共通点のようなものを僕なりに抽出し、人物像を作りました」と答えている。
上記「フィールズ賞」の項で紹介した動画にある、インドの数学の魔術師「ラマヌジャン」と、ロシアの存命の天才「ペレルマン」を合わせたようなイメージなのではないかと感じた。
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン – Wikipedia

グリゴリー・ペレルマン – Wikipedia

また、瞭司と熊沢の関係性は、閃きで結論が浮かぶ瞭司とともに発見した定理を「証明」という形に整えていく役割としての熊沢は、ラマヌジャンとタッグを組んだ「ハロルド・ハーディ」のイメージが近いのではないかと感じた。
ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ – Wikipedia

瞭司のように天才でクリエイティブな発想をする主人公と、熊沢のように冷静で論理的なパートナーがタッグを組んで大仕事をする、という非常にオーソドックスな構造を本作は持っている。
しかしながら、あえて時系列を前後させ、瞭司と熊沢それぞれの視点からのモノローグという形で語られるストーリーは、オーソドックスであるが故に読む者の心に刺さり、その心の有り様を美しく描きだしている。

『永遠についての証明』の「永遠」とは

Milky Way
Photo by Jesse Collins on Unsplash

タイトル『永遠についての証明』の「永遠」とは、何を指しているのだろうか。
真っ先に思い浮かぶのは、瞭司と熊沢の友情が永遠である、という意味。

瞭司はその類い希なる数覚で複雑な数学理論の「証明」が「見える」。
結論だけが見えていて、その途中の経緯は誰にも理解できない。
熊沢は瞭司に論文を書けという。
論文という記述規定に沿った形にしないと、周りから認めてもらえないことを諭す。

それでも熊沢は信じていた。
瞭司が見ている世界の「言葉」を持っていたから。
論文という形にしなくても、瞭司が見えているという事実だけは確信していたのだろう。

熊沢は瞭司や佐那とともに学部生だったころ「ムーンシャインの一般化」で論文を書いた。
「ムーンシャインの一般化」とは、ごく単純に言うならば「予想外の関係性に気づく」という内容であった。
瞭司の追い求める「プルビス理論」は実は熊沢の専門である「弦理論」と密接に関係しており、佐那が作ったメディアアートの「天体」や、瞭司自身の散らかった部屋の埃が舞う様子ともリンクしている。
さらには瞭司が生まれ育った実家の裏庭から続く静かな森のあらゆる自然が共生する世界の様子をも含めて、瞭司が閃いた世界は、熊沢にとっても「見える」世界になったのだろう。

熊沢が瞭司と同じ熱量の純粋性を持ち合わせていたとしたら、もっと違った未来になっていただろう、と思うのは野暮だろうか。
それでも、最後には「永遠」が「証明」されたことが、せめてもの救いだった。


    

1件のコメント

  1. ≪…「永遠」…≫を、数の言葉ヒフミヨ(1234)が平面(2次元)からの送りモノとして、人(私たち)が1・2・3・4次元で閉じ(計算でき)ているのを『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』の『存在量化確度方程式』と『存在量化創発摂動方程式』の帰結に知る。
     この物語の淵源は、2冊の絵本で・・・
      すうがくでせかいをみるの
      もろはのつるぎ (有田川町ウエブライブラリー) 

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