【BOOK】『金の角持つ子どもたち』藤岡陽子:著 自ら飛ぶための力

group of childrens sitting on ground
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5年続けてきたサッカーで選抜メンバーに選ばれなかったことから、中学受験をして夢を叶えたいという少年・俊介と、現実とのせめぎ合いの果てに子どもを応援する親と、信念を元に子どもたちに勉強を教えてきた塾講師・加地が見たのは、子どもたちが自らの力で勝ち取った「金の角」という武器だった。
中学受験を巡る親と子と塾の世界で巻き起こる、希望と再生の物語。

金の角持つ子どもたち (集英社文庫) | 藤岡 陽子 |本 | 通販 | Amazonより引用:

頑張るあなたへのエール!
金の角。それは、未来を指し示す希望の光。突然、中学受験を決意した小6の俊介。その頑張りに周囲も変化していき──。いきなり文庫!

「サッカーをやめて、塾に通いたい」小6になる俊介は、突然、両親にそう打ち明ける。日本最難関と言われる中学を受験したいのだ、と。難聴の妹・美音の小学校入学を控え、家計も厳しい中、息子の夢を応援することを両親は決意。俊介の塾通いが始まる。だが、彼には誰にも言えない”秘密”があって……。人は挑むことで自分を変えることができる。未来を切り開こうと奮闘する人々を描く、感動の長編小説。

mother carrying baby
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母・菜月

菜月の父親が腎不全で人工透析を受けなければならなくなり、高校を中退させられた。
当時の高校の担任教師が親を説得してくれたものの、親は聞く耳を持たず。
結局、高校を中退し、リサイクル工場の社員となった。
一人で家計を支えていた。
リサイクル工場の給与だけではまかなえないので、夜はファミレスでバイトをした。
今で言う「ヤングケアラー」である。

菜月の両親の「高校をやめて働け」という思考回路が、私にはまったく共感できない。
そして、それを受け入れてしまう菜月の行動にも、理解が追いつかない。
だが、「いやなら逃げろ」が出来ないこと自体が、近年では社会問題として認知されてきたように思う。
また、学歴を重視しないという考えにも驚いたが、現実にこういう考えを持っている人は、まだまだ多いのかもしれない。
私が知りうる範囲では、こうした「学歴をなんとも思わない層」は観測できないが、これはおよそ無知であることが原因である。

何を隠そう、私自身もかつては「学歴なんて関係ないさ」という考えを持っていた。
厳密に言うと、世間一般がそうというわけではなく、自分自身に関しては学歴は必要ない、という考えだ。
若かったこともあり、自分自身を過大に評価していたからだ。
自分には特別な才能があるに違いない、そう考え、大学を卒業することなく、当然、就職活動もできず、フリーターとなった。
自分に適した仕事とはなんだろうか、と目標も目的も夢もなく、とりあえずアルバイトをいろいろとやってみて探せばいいと考えていた。

だが、それから世間の厳しさを身をもって知ることとなる。
やはり学歴はあって損はない。今はそんな風に思える。

菜月の母親や夫・浩一、義母(浩一の母親)らがことごとく、小学生のうちから塾に入れなくてもいい、と菜月を責め立てるのは、すべて無知だからだ。
学歴による圧倒的なアドバンテージを理解できていないのだ。
学ぶことや学習することで初めて見えてくる景色を知らないのだ。
学ぶということは、知らなかったことを知り、分からなかったことが分かるようになることだ。
学習は本来、楽しいものなのだ。
大人には、そうした学びの楽しさを子どもたちに伝える義務があるのだろう。

そしてそれは、子どもたちがきちんと受け止めてくれる時期・年齢のうちに伝えておくべきだろう。
子どもの成長は恐ろしく早い。
大人が考えているよりも、遙かに早い。
自我が育って、もう親の言うことに聞く耳を持たなくなったら、学ぶことが楽しいといくら言ったところで伝わらないだろう。
そうした意味では、小学校高学年のうちに塾などで学び方を学ぶというのは、理にかなっているのかもしれない。

man in white shirt carrying boy
Photo by Kelli McClintock on Unsplash

父・浩一

自動車ディーラーのセールスマンという職業だから、というわけではないだろうが、給与の内訳として歩合の比率が高いことは想像に難くない。
現実的に塾の費用や、その後の進学での費用を考えるのは、男親として理解はできる。
今、小学生のこどもが将来的に大学にも行きたいと言えば行かせてやりたい、というくらいには答えられるが、今すぐ中学受験を、となると無理だろうと考える。
これも、分かる。
少し遠い未来のことは不確定要素が多すぎてイメージできないが、直近の状況であれば想像できるし、実際にその通りなのだという自信があるのだろう。
その上で、無理、難しい、できそう、なんとかなりそう、などがイメージできる。
ただ、これもおそらく、無知だからこその思考なのだろう。
きちんと情報を集め、検討することで打開できることはいくつかあるはずだ。
解決できなくても、それはそれで仕方がないことであり、善後策を練るしかないのだ。
だから、まずは情報を収集し、中学受験に関する知識レベルを上げてから考えても遅くはない。

実力が給与に反映されやすい職種、例えば営業職などでは、学歴を重視しない思考に傾いていくことは想像できる。
学歴が高くても低くても、要は売れればよいのだから、学歴は関係ないと考えるのも自然な成り行きだろう。
だが、ここにも落とし穴がある。
学んでいないと、売れるか売れないかが分析できない上に、売れなかったときにどうしたらいいのかを考えることができない。
本人は考えているつもりでも、深さが足りない。広さも足りない。
考えが足りていないこと、それ自体にも気づけないでいるのだ。

これが学ばないことの落とし穴である。
学んでいないと、見えるはずのものが見えないのだ。
見えていないから気づけない。
気づけないからますます考えられないのだ。

「無知の知」という言葉がある。
ソクラテスの言葉である。
「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりは賢い」という意味だ。
まずは、自分は無知である、ということに気づくことがスタートだ。
そういう意味では、父である浩一は気づいていないが、息子・俊介は気づきつつある。
「分からないことを分かるようになりたい」と願い、それを言葉にしていること、それ自体が素晴らしいことだと思う。

一方で浩一は父親として、自身のこれまでの人生を否定されたように感じてしまい、当初は受験に反対する。
学歴なんか関係ない、学歴なんてなくても立派に生きていけるんだ、という自分自身の生き方を、どこかで肯定したかった。
そして息子にも肯定されることを無意識に望んでいたのだろう。
しかし、子どもは成長する。
いつかは子は親を追い越していくものだ。
それがいつになるのか、子どもが小学生のタイミングなのか、高校を出てからなのか、社会に出てからなのかは分からない。
ただ、学歴社会においては、そのタイミングは傾向としては早いタイミングになるのだろう。
だからこそ、大人も学び続けていかなければならない。
最近では「リスキリング」という言葉が盛んに使われるようになった。
学び直し、と訳されるようだが、日々情報がアップデートされる世の中で、学び直すというよりは新たに学ぶという姿勢のほうが合っているような気がする。

子に追い越されないように学べ、と言っているのではない。
子は必ず親を追い越していく、という前提で、より高くより高い地点で追い越してもらうために、親は学びを止めてはいけないのだ。

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Photo by Piotr Wojnowski on Unsplash

息子・俊介

こうした父の無知を息子・俊介は打破していく。
進学したい中学校は日本最難関だが、国立だから授業料は安く済むことを伝える。
とても小学5年生とは思えない。
あまりにも達観しすぎている。
人生何周目なのだろうか。
いや人生2周目以降であればサッカーで選抜に選ばれないことは分かっているはずだ・・・。

小学5年生であんな風に将来の目標を持っていること自体がレアケースだろう。
自分を振り返ってみても意味はないが、小学5年生時点では、何も考えてなかった。
来月のコロコロコミックの発売日はいつだっけ? とか、ちゃんとコミックボンボンの費用も残しておかなくちゃ、などと考えていた程度だった。

やはり、スポーツを頑張って培われた集中力は、あると思う。
私自身は何かスポーツを頑張ったとか、やり抜いたといった経験がないので分からないが、勉強に関しては集中力というのは非常に大切であることは分かる。
緊張と緩和をうまく切り替えられる精神力は、一朝一夕には養えないと思う。
スポーツは、時間的区切りや数値によって勝敗が決するなど、集中力を養うには非常によいだろう。
集中力は、大人になって社会に出てからも役に立つ能力のひとつだ。
集中すべき時にぐっと集中し、緩めてよいときは緩めて休む。
そうしたメリハリを持つことが大事だ。

こういったメリハリは、受動的な態度では機能しない。
能動的に、自ら進んで動くからこそ、メリハリが効いてくるのだ。
以前、就活を控えた大学生のインターンシップを支援したことがあるが、企業に好かれる学生は、間違いなくメリハリを上手に切り替えられるといった特徴があった。
やるべき時にやり、休むべき時に休む。
ビジネスにはタイミングが非常に大切だからだ。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

妹が聾者であることを背負う俊介

俊介は妹の美音(みおん)の耳が生まれつき聞こえないことの原因が自分にあると思い込んでいる。
母・菜月が妹を妊娠していた時期、俊介が風疹にかかってしまった。
このことが原因で美音の耳はきこえなくなった、という周囲の噂話を耳にしてしまったからだった。
俊介はその罪の意識をずっと持ったまま、サッカーを辞めて中学受験に挑戦し、将来の夢をはっきりと自覚していく。
妹の聴覚が治るような、科学的な研究をしたいという罪滅ぼしを背負ったまま。

その決意と、罪の意識は、とても小学生が背負えるものではないだろう。
それでも、自分を奮い立たせて勉強に励む俊介の姿は、神々しさすら覚える。
どこまで純粋なのだろうか。
どこまで真っ直ぐな心根なのだろうか。
純粋さなど、とうの昔になくなり、薄汚れた中年の私にはまぶしすぎる。

そして、大人でも真似できないほどの集中力と踏ん張りによって、着実に力をつけていった、その姿勢には、素直に感服する。

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Photo by Tra Nguyen on Unsplash

塾講師・加地先生

教育者としての理想、とまではいかないが、子どもへの目線は限りなく暖かく、信頼できる人間として描かれている。
一方で、加地自身は、弟・直也を再生させることが、贖罪だと考えている。
勉強ができた自分とは違って、直也は勉強ができず、ついて行けないことから不登校になった。
その後のケアについても、両親は特に何もしなかったし、加地自身も自分のことで精一杯だった。

直也は深夜帯の仕事のシフトでアルバイトとしてずっと働いている。
その仕事ぶりが認められて、日勤帯のシフトにしないかと誘われたという。
ただ、直也は躊躇している。
自分は何も知らないから、失敗したら笑われてしまう、と。
これも学んでいないことの落とし穴である。
失敗した、その先がイメージできないことで、最初の一歩が踏み出せないのだ。
最初の一歩がなければ、二歩目はない。
前に進めなくなってしまい、いつまでも同じ場所に立ちすくんでしまう。
日々、世界は新しい情報であふれかえっているというのに、一歩も踏み出せないことが、どれほどの格差を生んでいるのだろうか。

子どもには勉強という武器を与えることが必要である。
そしてその武器の力をもっともっと強くすることで、社会という世界で倒れずに冒険が続けられる。
加地が塾講師をしているのは、子どもたちをそんな人間にしたいからなのだろう。

加地は後悔を思い出す。
勉強で躓いて不登校になった直也に「どうして勉強を教えてやらなかったのだろう」と。
その後の、母親の死、父親の無知により、直也は自殺未遂へと向かってしまった。

子どもが社会へ出て行く前に、自分の力で飛べるようになるためには、助走が必要である。
一緒に並んで走ることや、後ろから押してやったり、前から引っ張ることも必要かもしれない。
飛ぶことの素晴らしさだけでなく、具体的な飛び方を教えることも必要なのだろう。
現代において、子どもたちに具体的な飛び方を教えるのは、塾の役目なのかもしれない。

直也は兄である加地に中学1年からの勉強を教えて欲しいと願い出る。
加地の想いが、後ろからの支えが、直也に最初の一歩を踏み出すことを決意させた。
直也にはまだ未来はイメージできていない。
それでも、一歩を踏み出そうと思えたのは、兄の後ろからの支えがあり、その兄は具体的な飛び方を知っているからだ。

そのときに加地には見えた「金の角」は、自分の力で飛ぶことのできる者の証なのかもしれない。

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Photo by Museums Victoria on Unsplash

中学受験に関するイメージと現実

ただ、その反面、中学受験を控えた小学生たちの精神的な不安定さや、荒れた様子などはあまり活写されていなかったように感じた。
いろんなことが、何かうまく行きすぎていると感じたのは私だけだろうか。
中学受験には、もっときれいではない、あまり他人には言えないようなどす黒い面や、もっとドロドロとした人間関係の渦があるのではないだろうか。
著者自身はお子さんを2人、中学受験させており、その経験が盛り込まれているらしい。
中学受験に関してのネガティブなイメージは、マスコミなどによってすぐに広まってしまうが、ポジティブなイメージは受験したこども本人や親、塾関係者の中だけにしか残りにくい。
そうした中学受験のポジティブな良い面をも伝えたい、という気持ちは私には十分に伝わった。


もし、子どもが俊介のように、明確な目標を持ち、揺るぎない決意を持って受験したいと宣言したとしたら、親としては反対という選択肢はないだろう。
仮に経済的な事情があったとしても、借金をしてでも受験を応援するだろう。
それは、勉強は決して裏切らないから。
勉強することで、こども本人の世界が広がるのは真実だから。
学歴は、現代におけるもっとも平等に近い制度だ。
それに気づき、努力を怠らない者だけが、その果実を得ることができる。
そう。気づいた者のほうが、気づいていない者よりも、少しは賢い、ということだ。

「金の角」

「金の角」は子どもたちが自分の力で獲得した「武器」である、という。
それはつまり「勉強」である。
勉強とは、単に知識を得るということだけではない。

難問に出会ったときに逃げ出さずに粘る力。どうすれば解決するのかと思考する力。情報を読み取る力。ひたすら地道な反復練習や暗記。勉強で身につく力は、仕事をしていく上で必ず役に立つ。決してずば抜けた頭脳になれといっているのではない。努力が出来る人間であってほしい。たいていの人は、大人になると働かなくてはいけない。外で働くだけではなく家事や育児、介護といった家の中での仕事もあるだろう。仕事を持った時、勉強で身につけたあらゆる力は自分の助けになってくれる。人生を支えてくれるのだと加地は生徒たちに教えてきたつもりだった。

勉強で身につけるべき力は、待っていれば誰かが授けてくれるものではない。
自らが努力し、獲得しなければ意味がないのだ。

こればかりは子ども本人が取り組まなければならない。
親が「勉強しろ」と言ったところで意味はない。
ならば、親ができることは何だろうか。
まだ私には、その答えがない。


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