息子を寝かしつけるといつもたいてい一緒に寝てしまいます。
「寝落ち」ですね。
他と同じようなことをしているだけなら、それこそ他にいくらでもいるのだから。 ただ、簡単に足がつくことを分かっていなかったという点では、浅はかだったと言わざるを得ない。 なにかこう、IPを偽装して発信源を分からなくしたりとか、もっとやるなら徹底的にやるべきだった。 こういうことを書くと、試験の公平性が、とか、みんな同じ条件の下で、とか言う人が多くいるだろう。 それも、もちろん正論だろう。
否定はしない。できない。 ただ思うのは、現実社会において、同一条件で勝負する、なんてことは皆無だということと、そんな社会を生きてきたから分かる受験という非現実性だ。 受験というシステムそのものも、制度疲労していると思う。
いま行われているいわゆる「受験」は、言わば記憶力テストであり、記憶力の高い者が勝利するシステムだ。しかもこの記憶力は短期記憶だ。試験の日まで覚えていればいいだけで、試験が終われば忘れても構わないのだ。 たしかホリエモンだったか、これまでは記憶力の時代だったが、これからは検索力の時代でしょ、と。 たしかにそうだと思う。
いっそのこと、パソコンもケータイもあらゆる道具を持ち込んでOKということにして、どういう手段でどういう考えで結果を導くのかを競う方が、クリエイティビティで優秀な人財が集まると思うのだがねえ。 とは言え、大学側がどういった学生を求めているか、によって受験がなされるのだから、大学側の覚悟次第でしょうね。 あらゆる道具を持ち込んでOKにした場合、自分たちでそれをジャッジしなければならないから、それに対する不安だったり、コストがかかったり、そもそもジャッジできなかったり、といった懸念があるのだろう。 大学入試だけでなく、人財と出会うために、こういう風に手間暇かけるのは、大切なことだと思う。
ダイヤの原石を得たいなら、ね。 from iPhone