親戚に不幸があった。
妻の母上の弟さん。
58という若さで旅立って行かれた。
突然の訃報に、妻は絶句し、泣き崩れた。 すぐに蒲田の病院へ向かった。
静かな顔を見て、手を合わせた。 すぐに通夜、というわけでは無かった。
東京は亡くなる方の人数も多くて、葬儀や火葬の予約がなかなかとれないケースが多いという。 結局、通夜が29日、葬儀・告別式が30日となった。 故人は会社の専務取締役という立場もあって、半分社葬の意味合いもあった。
そのせいか、訪れる人の人数はかなり多かったと思う。 僕も、故人とはちょくちょく会うことがあったので、亡くなったことの実感が未だに沸かないでいる。 お義母さんお義父さんは、かなりお疲れになったと思う。
まだ健在とはいえ、介護の必要なお祖母さん(妻の祖母)のお世話もある。 葬儀は、宗派にかかわらず、常に遺された者のためにある。と思う。 送り出される人のため、ではなく、遺された者のためにあるのだと。 送り出すための様々な手続きが、あまり合理的でないのは、忙しさが悲しみを緩和するから、とも思える。 そして、時間をかけて、ゆっくりと死を受け入れる。 そうやって、また遺された者が歩き始められるように、出来ている。 合掌。 from iPhone