【BOOK】『君のクイズ』小川哲:著 私は私のクイズを探そう

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本作は、テレビ番組などでもよく観られる「競技クイズ」を舞台とした、ミステリー仕立ての物語である。
非常にシンプルな構造で、圧倒的なリーダビリティ(読みやすさ)で描かれている。
なによりも、「なぜ一文字も読まれていない問いに正答できたのか?」という謎を追う展開でグイグイと読者を引っ張り、息つく暇もなく最後まで読ませる筆致は圧巻である。
広い意味ではミステリーとも言えるだろうが、主題はその謎を追うことそのものではない。
青年がクイズと出逢い、クイズによって世界を知り、クイズとともに人生を歩む物語なのだ。

君のクイズ | 小川 哲 |本 | 通販 | Amazonより引用:

生放送のTV番組『Q-1グランプリ』決勝戦に出場したクイズプレーヤーの三島玲央は、対戦相手・本庄絆が、まだ一文字も問題が読まれぬうちに回答し正解し、優勝を果たすという不可解な事態をいぶかしむ。いったい彼はなぜ、正答できたのか? 真相を解明しようと彼について調べ、決勝戦を1問ずつ振り返る三島はやがて、自らの記憶も掘り起こしていくことになり――。
読めば、クイズプレーヤーの思考と世界がまるごと体験できる。人生のある瞬間が鮮やかによみがえる。そして読後、あなたの「知る」は更新される! 
「不可能犯罪」を解く一気読み必至の卓抜したミステリーにして、エモーショナルなのに知的興奮に満ちた超エンターテインメント!

世界のすべてに問いがあって、何らかの答えがある

クイズというのは、ただ単に知識量を競うものではない。だから知識量があればよいということにはならない。
とは言え、どんなジャンルのどんな問いがあるのかわからないので、絶対的な知識量は必要だ。
知識量はクイズを解くにあたっての必要条件ではあるが、十分条件ではないと考えられる。

クイズに答えているとき、自分という金網を使って、世界をすくいあげているような気分になることがある。僕たちが生きるということは、金網を大きく、目を細かくしていくことだ。
今まで気づかなかった世界の豊かさに気がつくようになり、僕たちは戦慄する。戦慄の数が、クイズの強さになる。

そして、知識を得るということは、世界に対しての解像度を高くする、という意味だと思う。
ひとつひとつの事象について、表層的な知識だけでなく、ある程度の深度を持った知識を得ることによって、世界に対する見方や考え方が変わっていくということでもある。
また、縦方向の「深さ」だけでなく、横方向の「広さ」も求められるだろう。
それが、「金網を大きく、目を細かく」するということだろう。

やがて三島玲央は体感する。

クイズが生きているーーそんな気がしたからだった。クイズは、世界の全てを対象としている。世界が変わり続ける以上、クイズも変わり続けるのだ。

世界は刻々と変わり続けているから、そこから発生する「クイズ」(=問い)は常に新しく存在し、それが「生きている」という表現になる。

その生きている問いに対し、知識を得、果敢に答えを見いだす。
クイズとはこの繰り返しである。
まるで「禅問答」のようだな、と思った。

テレビのクイズ番組などで、問題文の冒頭数文字しか読まれていないのに、解答者が解答権を得るためのボタンを押し、正解してしまう様子は、端から見ていても何を話しているのかがわからない様という意味では、まるで禅問答のようではないかと思った。

だが、超人的なクイズプレイヤーたちは、問いの深さや広さを瞬時に感じとり、適切な答えを拾い上げる。
そこには、彼らにしかわからない「確定ポイント」があり、その「確定ポイント」が確定すると思われるポイントを探り当てているのだ。
それを一瞬のうちに。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

selective focus photography of multicolored confetti lot
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「知る」とは何か?

拾い上げられた答えは、自分の人生の中で、確かに経験した事実と結びついていることに気づく。

世界は知っていることと、知らないことの2つで構成されている。
クイズに正解したからといって、答えに関する事象を全て知っているわけではない。ガガーリンの「地球は青かった」という言葉を知っていたとしても、ガガーリンが見た地球の青さがわかるわけではない。
むしろクイズに正解する事は、その先に自分がまだ知らない世界が広がっていることを知るという事でもある。ガガーリンの言葉を知っているおかげで、僕たちは宇宙から見た地球の青さを想像することができる。

拾い上げられた答えのすべてが「知っていること」に属する、という考えに、いささか抵抗を覚える人もいるだろう。
知識として知っていることと、実際に体験して知っていることとは違う、と。
ここでの「知っている」はもう少し広いと、私は思う。
知識として「知る」段階でも、何かしらの書物を読むとか、人から話を聞くなどの「体験」はある、と考えれば、体験と紐付いた知識としてカウントしても差し支えないのではないか。
特にクイズに解答する、ということにおいては、些細な体験であっても、それがトリガーとなって記憶の海からたった一粒のダイヤを見つけ出し、拾い上げるのだから。

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Photo by Rachel on Unsplash

なぜ「成長の物語」なのか

三島玲央は、『Qー1グランプリ』で本庄絆に破れたが、その過程を振り返り、本庄絆の過去の行動という足りない情報を集め、分析することで次へのアクションを見いだしている。
その多大なるモチベーションは「自己肯定」である。

「ピンポン」と言う音は、クイズに正解したことを示すだけの音ではない。回答者を「君は正しい」と肯定してくれる音でもある。

クイズに正解することで鳴り響く「ピンポン」という正解音。
アドレナリンが放出された状態で耳にするその音が、どれだけ彼の心を揺さぶっただろうか。
こんなにも明快に「君は正しい」と肯定してくれるものは、他にはないだろう。

人が成長するとき、「自分は正しい」という確認が必要なときがある。
その都度、背中を押してくれる存在を感じられることで、前へ進むことが出来る。
三島玲央は、そうした存在に気づき、一歩前へ踏み出すことができた。
これは彼の成長の物語なのである。

ラストで、三島玲央は「クイズとは人生である」と答える。
タイトル『君のクイズ』をこれに当てはめれば、「君の人生」と読むことができる。

「問題ーー」
「Q. あなたの人生において、あなたを肯定してくれるものは、なんですか?」


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