
【BOOK】『少年と犬』馳星周:著 犬に人としての生き方を学ぶ
犬は「人という愚かな種のために、神様だか仏様だかが遣わしてくれた生き物」だという。
DNA的な研究では、犬の祖先はほぼオオカミであるとされている。
ヒトによるイヌの家畜化がいつ頃から始まったのかはまだわかっていないようだが、歴史の中で犬は古くから登場している。
古代エジプトでは神聖な存在とされ、死後の世界への案内役として描かれたり、牧羊犬や番犬、軍用犬としても存在していたらしい。
中世ヨーロッパでは貴族の象徴として扱われ、やがて近代においては愛玩動物として、常に人間の近くにいる存在であった。
本作は、ある一匹の「犬」を中心に、犬を取り巻く人間たちの物語が6遍の連作短編から構成されている。
視点人物は人間たちであるにも関わらず、その中心には常に同じ「犬」がいる、不思議な構成だ。
第163回直木三十五賞受賞作。
傷つき、悩み、惑う人びとに寄り添っていたのは、一匹の犬だった――。
2011年秋、仙台。震災で職を失った和正は、認知症の母とその母を介護する姉の生活を支えようと、犯罪まがいの仕事をしていた。ある日和正は、コンビニで、ガリガリに痩せた野良犬を拾う。多聞という名らしいその犬は賢く、和正はすぐに魅了された。その直後、和正はさらにギャラのいい窃盗団の運転手役の仕事を依頼され、金のために引き受けることに。そして多聞を同行させると仕事はうまくいき、多聞は和正の「守り神」になった。だが、多聞はいつもなぜか南の方角に顔を向けていた。多聞は何を求め、どこに行こうとしているのか……
犬を愛するすべての人に捧げる感涙作!
2025年3月20日、映画版が公開される。
映画『少年と犬』公式サイト
【主題歌 SEKAI NO OWARI「琥珀」】映画『少年と犬』主題歌入り予告映像【3月20日(木・祝)公開】
犬の名前は「多聞(たもん)」。
行く先々で寄り添う人間に、それぞれ違う名前を付けられはするものの、物語を通して「多聞」であることに変わりはない。
「多く、聞く」という言葉通り、人間の声をよく聞き、受け止めてくれる存在として、寄り添っている。
人間の弱さ、脆さ、辛さ、情けなさを、ただ聞き、受け入れる。
“人の心を理解し、人に寄り添ってくれる。こんな動物は他にはいない”
単行本P234
犬である以上、何か言葉を発することはない。
作中を通して犬を擬人化することなく、ただ犬として、存在している。
直木賞の選評でも、この点が評価されたポイントだったようだ。
仙台にいた多聞は東日本大震災で飼い主を失う。
その後、中垣和正に拾われ、共に過ごす。
多聞は移動中などはずっと南の方角を向いている。
仙台を離れた後、宮城、福島、新潟、富山、滋賀、島根を経由し、それぞれの場所で人間に寄り添う。
その時も常に南、あるいは南西の方角、九州に顔を向けていた。
多聞が寄り添う人間には共通点がある。
まず、孤独感を強く感じていること。
根っからの悪い人間ではないが、結果的に悪いことに手を染めている人間たち。
そして、死の匂いを纏っていることだ。
多聞には、ある目的があった。
その目的を果たすために、ずっと移動し続けてきた。
行く先々で獲物にありつけないときは、人間を頼った。
その人間は、孤独で死の匂いがある悪いことをしてきた人間ばかりなのだ。
多聞はただそばにいて、人間たちの言葉を聞いていた。
特別に何かをしたりはしない。
人間たちは多聞に語りかけることで慰められ、自問自答を通じて改心していく。
多聞は決して、人間たちの「家族」にはなろうとしなかった。
寄り添ってくれてはいても、家族としてずっと運命を共にするわけではない。
多聞にはある目的があったから。
だが、孤独を宿した目や死の匂いを嗅ぎつけると、何も言わずに寄り添ってくれるのだ。
その強靭な意志と、誇り高き佇まいは、人間ですら憧れてしまうほど。
そして、驚愕のラスト。
読みながら嗚咽が込み上げてくる。
どうしてそこまで、意思を貫けるのか。
犬には人間には理解できない超越的な力があるとはいうが、運命的な絆を信じざるを得ない展開に、感動する。
多聞の振る舞いは、人間である我々も、襟を正さずにはいられない。
犬に人間としての生きる姿を教えられたような読後感であった。
少年と犬
不夜城 (角川文庫)
月の王 (角川書店単行本)
雨降る森の犬 (集英社文庫)
走ろうぜ、マージ (角川文庫)