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【BOOK】『火車』宮部みゆき:著 地獄へ運ばれるべきは誰なのか

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burning grey sedan near trees and signboard at night
Photo by Matt Hearne on Unsplash

本書が刊行されたのは1992年。
あらためて令和の時代に読んでみて、テーマの根深さは当時からずっと変わっていないことに驚きとともに感嘆した。

火車 (新潮文庫) | みゆき, 宮部 |本 | 通販 | Amazonより引用:

休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。

Audibleで読聴。
朗読は、あの三浦友和さんである。
三浦友和 – Wikipedia
非常に心地よく、渋い声だ。
主人公・本間俊介の一人称で語られる文体に非常によく合っていると思う。
まるで、ラジオドラマを聴いているような、情景がイメージしやすい語り口で、とても豊かな読書体験だったと思う。
残念なのは、途中所々で別の人の声が差し込まれていたところがあった点だ。
読み飛ばしたのか、後から気づいて追加されたのだろうが、どうしても声が違うために非常に違和感が残った。
また、録音されたタイミングが、もしかしたら別の日だったのかもしれないが、急に声のトーンが変わるところもあった。
長編小説を1人で朗読するという性質上これは致し方ないのかなと思う。
ただできれば声のトーンやピッチなどは多少は後から調整できるのではないだろうか。
そこまでコストをかけられないのかもしれないが。

物語は1992年に刊行された社会事情をベースにしているため、携帯電話も出てこないし、インターネットも登場しない。
もちろんSNSもない。
通信販売はかろうじて出てくるが、注文は電話かFAXだ。
FAXなんて見たことがなという人もいるに違いない。
令和の時代の10代や20代の人からすると昔話のように聞こえるのかもしれない。

それでも、本書で語られる大きなテーマであるカードローンのカラクリや、多重債務者が生まれてしまう社会構造、それにまつわる人間の欲望や弱さというものは、昔も今も変わっていないのだなと思わされる。


タイトルの『火車』とは?
仏教用語で読んで字の如く「火のついた車」で、悪事を犯した罪人を乗せて地獄へ運ぶもの、だそうだ。
また墓場や葬儀の場から死体を奪う妖怪という記述もあった。
いずれにしてもとても恐ろしいものだという事はわかる。
火車とは – コトバンク

この場合の「悪事を犯した罪人」というのは何を指しているのだろうか。
シンプルに考えれば、カードローンなどで借金を繰り返し、多重債務者になって最後は自己破産をしてしまった者、と捉えることができるだろう。

だが、果たしてそれは本当なのだろうか?

主人公・本間俊介が関根彰子を探していく過程の中で、少しずつその半生が明らかになってくる。
尚子は、税理士のもとで、自己破産手続きをする際、「ただ幸せになりたかっただけなのに」とこぼすシーンがある。
当時の(そして今も)金融に関する教育が行き届いていなかったがために、ローンに関する知識がなく、気がついたら多重債務者になっていたと言うケースだ。
この場合、彰子は「悪事を働いた罪人」になるのだろうか?
地獄へ運ばれるべき人間なのだろうか?

成田悠輔氏は、著書『22世紀の民主主義』の中で、資本主義とは富めるものがますます富み、格差が広がっていく仕組み、と語っている。

借りたものを返さない、これはもちろんよくないことだ。
だが、借りる側の返す能力を斟酌しないでどんどん貸したり、借りている間に大きな利息がついて返すに返せないほどに膨らませてしまう仕組みや、そもそもの金融リテラシーを教育することを怠った行政側の責任も大きいのではないだろうか。

改正貸金業規制法の総量規制によって年収の1/3を超える融資ができなくなったのは、2006年になってからである。
今でこそ、中学生や高校生に授業の中で金融リテラシーの初歩を教えているようだが、それまで十数年間、対策らしいことは実現されていなかったのだ。
国が腐っていくのは、民衆からではない。政治の腐敗・怠慢から広がっていくのだ。

本作品は、ジャンルとしてはまさしくミステリーなのだが、いわゆる古典的なトリックがどうのこうの、といった類ではない。
私はああいう洋風の館が出てきて、中で人が死んで、それを探偵的な主人公が何らかのトリックを見破って、という種類のミステリーがあまり好きではない。
中高生の頃は夢中になって読んだ記憶があるが、ある時、こんなことあるわけねえなあ、と急に現実に戻ってしまうことがあって、あまり読まなくなった。
現代劇を読んでいたはずなのに、現代劇ではあり得ないことが展開されて、なんだか中途半端なファンタジーに思えてしまうのだ。
いや、ファンタジー作品自体は好きなのだが、現代劇とファンタジーの中間くらいの半端な感じがどうにも居心地が悪いのだ。

その点、本作品は(時代はやや遡るが)現代劇であり、トリックではなく、社会情勢や人間の感情の折り重なりからストーリーが展開していく様が、非常に魅力的だ。
人間の欲望や葛藤や焦燥が、複雑に絡み合うことで、よりリアリティを持って深みを増して迫ってくる。
これをプロットを書かずに書き進めてしまう著者の天才性には舌を巻くしかない。

ラストシーンについては、賛否両論あるのだろう。
著者によると、まず、最後の一行に犯人が出てくる小説を書こうとした、ということらしいので、このラストは初めから構想されていたのだろう。
私は、うーん…と微妙な気持ちになってしまった。
だが、この後のストーリーを妄想しても、取り調べが続く地味な展開であることは想像に難くない。
であれば、あの衝撃的なラストが相応しいのかもしれない。

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