【BOOK】『ブラックボックス』砂川文次:著 見えない箱から抜け出した「成長」の物語

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読んでいて、爽快感があるとか、この先の展開がどうなるのか気になる、といった作品ではない。
どちらかと言うと、鬱屈した人間の内面の葛藤や、なぜこんな気持ちになるのかがわからないけれど、溢れ出てしまう焦燥感を描写した作品だなと感じた。
そしてその苦悶の日々の先に、成長し、希望が見える作品でもあった。

ブラックボックス | 砂川 文次 |本 | 通販 | Amazonより引用:

第166回芥川賞受賞作。

ずっと遠くに行きたかった。
今も行きたいと思っている。

自分の中の怒りの暴発を、なぜ止められないのだろう。
自衛隊を辞め、いまは自転車メッセンジャーの仕事に就いているサクマは、都内を今日もひた走る。

昼間走る街並みやそこかしこにあるであろう倉庫やオフィス、夜の生活の営み、どれもこれもが明け透けに見えているようで見えない。張りぼての向こう側に広がっているかもしれない実相に触れることはできない。(本書より)

気鋭の実力派作家、新境地の傑作。

Audibleで読聴。

作品中には書かれてはいないが、この主人公・佐久間は、その行動や言動から察するにADHDの傾向が強いのではないかと思った。

発達障害|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

特にそれが強く表れているのは、職場を転々として長続きしないでいることや、何か苛立つことがあったときに、衝動的に、自分を抑えられなくなって、相手に暴力で訴えてしまう、といった点だ。
後先を考えて、自分にブレーキをかけるということが難しいのだ。
他にも、目の前にタスクがあって、それらを一つ一つ処理することで、ゴールへ近づくといったことが目に見えるように明確に示されていることが心地よいといった描写もあった。
マルチタスクが苦手な人にとっては同じような経験があるだろう。

これらは、発達障害を持つ人間の傾向としてよくある事例だ。
だからそれが悪いことだとか良いことだと言う話ではない。
本書では、そういった人間の生きづらさを克明に、リアルに描き出している、ということだ。

極限状況下の人間描く 「ブラックボックス」で芥川賞の砂川文次さん – 産経ニュース

(以下、ネタバレ注意)
ネタバレ注意

UnsplashLuca Campioni

主人公・佐久間は「なぜ自分の中の怒りの暴発を止められないのか」とずっと悩み続ける。
「ちゃんとしなくちゃいけない」と思いながらも、ズルズルと「ちゃんとできない」まま職を転々とする。
「ちゃんとする」ということがどういうことなのか、いまいち掴みきれないまま過ごしてしまう。
発達障害を持つ者にとっては、この「ちゃんとする」と言うことが、抽象度が高くてどういうことなのかイメージできないのだ。
これとこれとこれをこうするといった具体的な指示や手順があれば、それらをこなす事はできる。
だが、抽象的でふわっとした事柄を理解するのは難しい。
世間で言う常識や当たり前だとされることの多くが抽象的でふんわりとしていて、非常にわかりづらいと感じているのだ。

当然、そのような常識とされているようなことの重要度がよく理解できていないがために、まぁいいだろうと軽く考えてしまい、後になって指摘をされて、大きな問題に発展するということがある。
佐久間の場合は、職を転々とすること自体はそれほど問題ではないが、職場がうつれば、当然、雇用保険や年金等の切り替えが必要になってくる。
だが、そういったことに頓着しないままずっと過ごしてきたことで、ある日、突然、税務署の職員が家にやってくることになる。
そしてそこから佐久間の人生はどんどんと坂を転げ落ちていくことになるのだ。

物語の中盤で突如として場面が展開する。
自転車便のメッセンジャーをやっていた頃の話や、同棲している相手とのぎくしゃくした関係などは、回想シーンという扱いになり、主人公・佐久間は刑務所の中にいるということが描かれる。
かなり唐突に刑務所のシーンに変わるので、何度か読み返してしまった。
序盤のロードバイクの細かいパーツや、自転車をこいでいる体の動きをかなり細かく描写していたシーンとは打って変わって、刑務所の中のどんよりとした風景の描写が続く。

刑務所の中でも、人間関係に悩まされる中で、佐久間は否が応でも自分自身と向き合うことになる。
自分の中の怒りの暴発をなぜ止められないのか、と言う自分自身への問いをもがきながら問い続けることになる。

UnsplashYe Jinghan

刑務所に入った時、佐久間は「あー終わったなぁ」と考えた。
おそらくほとんどの人がホームレスになったり、刑務所に入ったりすれば「人生終わった」と考えるだろう。
だが、何も終わっていなかったのだ。
刑務所に入っていても、人生は続く。寝て、起きて、食事をし、決まった労働を課せられる。
同じ牢の中には、他人がいて、いやでも人間関係は生じる。
終わったと思っていた人生の先は、誰にでもあることに徐々に気づいていく。

刑務所内の労働で、元々ロードバイクをいじっていた経験が生きて、工具に詳しいことが周りに知られていく。
刑務官にも理解されるようになり、徐々に違った仕事を任されていく中で、責任を持つことや、他人に技術を教えるということを通して、自分にしか興味のなかった佐久間は自分の周りに意識を向け始める。
労働で作った木工品が人々の生活の中に入って使われていくことをイメージできるようになる。
発達障害は、自閉症の中の一部分であり、現在の学術的な考え方ではスペクトラム(グラデーションのように徐々に変化する帯のようなもの)という考え方が一般的になっている。
それは個人差が大きく、一概に一括りで論じることができないほど、多種多様な症状があるためだ。

佐久間は自分にしか興味がなかった。
自分のことしか考えなかった。
だからこそ周りとうまく交わることができず衝突し、職を転々としたり、同棲している彼女ともうまくいかず、衝動的に行動してしまうのだった。
まさに読んで字の如く「自閉」していたのだ。
自らを閉じたままで生きてきたのだった。

そうして、あらゆる角にぶつかり続けた先に、ほんの少し周りが見えてきて、自分しかいなかった佐久間の世界に、他の人がいるということを腹の底から実感できるようになった。
タイトルの「ブラックボックス」は自分の周りの「常識」や「ちゃんとした生活」が見えていそうで実は見えていない、だからブラックボックスになっているんだ、という意味合いだろう。
だが、私にはそれだけではないように思えた。
タイトルの『ブラックボックス』には、自分自身がブラックボックスの中に入っていて、周りが見えていない状態、その中でもがき苦しんでいる様を指している、という意味も含んでいるのではないか、と。

本書を底辺の人間の鬱屈した心情の吐露から発する「現代のプロレタリア文学」という見方をするネット記事もあるようだが、私はそれには懐疑的だ。
ある一面ではそうなのかもしれないが、プロレタリア文学というとどうにも思想的な匂いが強く、何か大仰なことを主張しているかのような印象があるので、本書には相応しくはないと思う。
私にはやはり「成長」の物語に読めた。
そうであって欲しいという願いも込めて。

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