【BOOK】『犬を盗む』佐藤青南:著 人と動物の暗くて深い溝を越えるもの

long-coated white and brown dog near wall
Photo by Herbert Goetsch on Unsplash

犬を中心に、殺人事件や動物虐待、保護犬の問題、前科者への偏見、ネット上の誹謗中傷など、さまざまな社会問題が複雑に絡み合い、物語が一つに収斂していく。
人の裏の顔と動物の純粋さの狭間にある、暗くて深い溝を越えられるのは、一体何なのだろうか。

犬を盗む | 佐藤 青南 |本 | 通販 | Amazonより引用:

殺人現場に残された愛犬の痕跡――真実を知るのは、その瞳だけ。
デビュー10周年、著者入魂の慟哭ミステリー!

高級住宅地で一人暮らしの老女が殺害された。部屋には、かつて犬を飼っていた痕跡があり、刑事たちは周辺の捜査を開始する。一方、雑誌記者の鶴崎は、あるスクープをモノにするためコンビニでアルバイトを始める。同じコンビニで働く松本の過去を知る鶴崎は、松本が突然犬を飼い始めたことに驚愕するが――。
深まる謎、犬との絆に感涙&一気読み必至! 
貫井徳郎氏も驚嘆の長編ミステリー。
「細かい違和感を憶えておいて。最後に『なるほど』と思うから」

高級住宅地で資産家で一人暮らしの老女が殺害される事件が発生。
飼っていたと思われる犬が現場から忽然と姿を消した。
なぜ老女は殺されたのか。そして犬はどこに行ったのか。
犬好きの下山と犬嫌いの植村の刑事コンビが事件を追う。

コンビニ店員の先輩バイト松本が犬を飼うことになった。
それを聞いた後輩バイト鶴崎は犬の散歩をさせてほしいと松本に頼み込む。
それほど仲がいいわけでもないし、犬を飼っているわけでもないのに、後輩バイト鶴崎はなぜ犬の散歩を代行したいと言い出したのか。

ドッグランでの「ペットつきあい」を苦痛に感じる小野寺真希は、人間同士の距離の取り方に悩む。
ある日、ある犬と飼い主の小さな違和感に気づき、調べ始める。

それぞれまったく関係のない者たちが、犬を中心にして徐々に事件の核心に迫っていく。

ペットを巡る社会問題

brown short coated dog in orange hoodie
Photo by Karsten Winegeart on Unsplash

ペットの飼育人口動態はどうなっているのかを調べてみたところ、年々増加傾向にあるのかと思っていたが、実際は犬に関しては漸減傾向、猫に関しては横ばいであるようだ。
ペットフード協会の資料によると、2016年時点で犬の飼育頭数は987万8000頭。
2012年時点では1153万4000頭なので、確かに減ってきている。
ペットの飼育頭数は年々減少傾向

ただ、2017年以降で新規飼育者(1年以内に飼い始めた人)に限ってみると、2017年が38万頭で、2020年には46万2000頭に増えてきている。
特に2019年から2020年の数値で見ると、伸び率が114%と高い伸び率を示しており、新型コロナウイルスの影響が窺える。

新規飼育者数は新型コロナウイルスの影響で増えてきている

また、ペットの飼育における苦情の相談件数の推移を調べてみると、東京都のデータでは、2008年度には16,867件に上っていたが、2009年度以降減少し、2013年度には1万件を下回っている。2014年度以降は1万件前後の水準で横ばいのようだ。

苦情件数はここ数年は横ばいで推移

こうしてみると、ペット飼育に関して、近年は法整備とともに適正な方向性に向かっているとみてよいのではないだろうか。
ひと昔前の「番犬」として飼育していた犬の存在は、時代と共に「家族」として捉えられているのが実情だろう。
私の周りでも、夫婦間で子どもはいない(あるいはあえてもうけない)が、ペットを飼っている、というご家庭が増えてきているように思う。
それぞれの家庭でのそれぞれのライフスタイルに合った選択が自由にできている、と解釈することもできるだろう。

では、ペット飼育に関しては今後も楽観視してもよいのか、というとそう簡単な話ではない気もする。
よくテレビ番組などでも取り上げられる問題として、近年注目されているのが「多頭飼育崩壊」である。
こちらは猫の例だが、「飼えると誤解して増やしてしまう」という無知が引き起こしたといえる。

そしてこちらは犬の事例。はっきり言って衝撃映像である。

私はペットを飼っていないので、ペットが家族である、という感覚は実感としてはよく分からない。
だからと言って、いったんは預かった命を、増えて手に負えなくなったからといって放っておくという神経も理解できない。
適切に世話をすれば、ある程度コントロールが可能なはずなので、人間の子どもよりはよっぽど難しくはないだろうに、とも思う。

本作では、こうしたペット飼育に関する社会問題や、飼育における「あるある」がどこかしこに仕込まれており、おそらくペットを飼っている人からすると、首肯できるのではないだろうか。

命の重さとは

woman in gold dress holding sword figurine
Photo by Tingey Injury Law Firm on Unsplash

人間の命とペットの命はどちらが重いと考えるべきであろうか。
法の観点では人間の命を優先することになっている。ペットは法的には「物」として扱われる。
だが、ペットを飼っている人の多くは、ペットは家族であると考えている。
だが現実には、ペットの命は人間の命よりも低く見積もられる。
ペットの命と人間の命を、どのように解釈すべきだろうか。
これは実に大きな、根の深い問題だと思う。

ペットと限定せず、動物全般で考えれば、生存の優先順位ははっきりしていると言っていいだろう。
あらゆる動物は、個体自身の生存が最優先であり、次に子や家族、次いでコミュニティの順に優先される。
人間も動物の一種であるので、同じように考えれば、人間とペットとを比べたときには人間が優先されて当然と言えるだろう。

さらに、人間世界の価値観で考えた場合、飼育の責任、安全性、健康上のリスク等を考慮すべきだろう。
飼育の責任は、飼い主である人間にある。
ペットの健康を管理すること、必要であれば適切な医療を受けることが責任であり義務である。
時にそれは飼い主の犠牲が伴う場合もあるだろう。
安全性の面では、ペットが人間に危害を加える可能性を排除しなければならないし、そのためのペットに対する訓練も必要だろう。
健康上のリスクというのは、ペットが伝染病などにかかってしまうことを指す。
人間に感染する可能性のある病気はもちろん、人間以外の犬や猫であっても同様で、予防接種などを受ける必要もある。

やはり、最終的には人間を優先させて考えるべきだが、心理的な面ではっきりと割り切れないという気持ちも残るのが人間の心理なのだろう。
とはいえ、正解は一つではないにしても、可能な限りの人間側の責任を果たした上で、ペットを愛するということには、異論はない。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

人はなぜ、他人にラベリングしてしまうのか

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Photo by Jon Tyson on Unsplash

物語の中盤、小野寺真希は、鶴崎が松本の情報を入手する手伝いを渋っていたとき、
「シロちゃんを見殺しにするの?という問いかけに対して、
「人が死ぬわけじゃないじゃん」という鶴崎の発言に激しく反発する。
このシーンを冷静に振り返っても、やはり鶴崎の反応は至極まっとうな気がする。
対する小野寺真希の態度や思考回路は理解を超えている、と感じた。
自分が飼っている犬でもないのに、殺人の刑で服役していた人間が飼っている、というだけで、救い出さなくちゃいけないと考えるのは、おかしいを通り越して恐ろしい。

「元殺人犯」というラベルを貼ることで、いったい何をしたいのだろうか。
攻撃することで、何か安心したい、ということなのだろうか。
いったんラベルを貼ることで、自分との関係性や立ち位置を優位に置きたい、という心理の表れなのだろうか。

あるいは、自分が理解できないことに対する不安や恐怖を、ラベルを貼ることで名前をつけ、その名前のカテゴリに無理矢理にでも押し込むことで、理解できるものとして扱いたい、ということだろうか。
理解できるものであれば、不安や恐怖はほぼ取り除かれるだろう。
おそらく、いやきっと、そうなのだろう。

ネット上の誹謗中傷は、安全なところから石を投げつける行為であると、小野寺真希自身も理解はしているようだ。
だが、それでも辞められなかったのは、それを上回る快楽的な何かが、裏に潜んでいるからなのだろう。

人はなぜ、他人にラベリングしてしまうのか。
詰まるところ、そのような不安にとらわれてしまう、人間の弱さゆえなのだろう。
弱いから、無理矢理にでも理解できるものとして捉えようとする。
理解できるものになったら、あとはこき下ろして相対的に自分が優位に立てばいい。
そうして、安心材料を集め続けることに奔走するのだ。

やがて、人は何を見るにも「先入観」を持つようになる。
先入観を持つと、正しく物を見ることが出来なくなる。
例えそれに気づいても、苦しみがのしかかるだけである。

事件の真相が解明できたのは、犬にはそうした「先入観」がなく、純粋に目の前のことを見ているからなのだろう。
こういうとき、人間以外の動物には、人間はかなわない。

いや、ひとり、目が曇っていない人間もいた。
その人物は、一度その苦しさを知っていたからか。
奢ることなく、愚直に目の前だけを見ていたのだ。


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