【BOOK】『お台場アイランドベイビー』伊予原新:著 見えない鎖をひきずって生きてゆく

brown concrete building
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首都直下型地震が発生し、首都東京が壊滅的なダメージを受けた平行世界の日本が舞台。
刑事を辞めていまはヤクザの用心棒をやっている巽丑寅は、不思議な黒人の少年・丈太と出会う。
震災を機に見かけられるようになった「震災ストリートチルドレン」を追ううちに、政治家、ヤクザ、謎のアナーキスト、あらゆる外国人労働者たちが入り乱れ、沈みゆく日本の中で雄叫びを上げる。
圧倒的筆致で描き出す「震災後の落ち行く日本」の姿がリアルに迫る傑作だ。

  Amazon.co.jp: お台場アイランドベイビー : 伊与原 新: 本

首都直下型地震のリアル

an old building with a ladder on the side of it
Photo by Pavel Neznanov on Unsplash

本作は第30回横溝正史ミステリ大賞大賞受賞作である。
驚くべきは「2010年」の受賞であることだ。
2011年の東日本大震災が起こる前に、首都直下型地震によって首都・東京が崩壊した世界を描いているのだ。
その筆致はまるで著者がタイムリープしたかのように、震災後の世界がリアルに描写されている。

第一章である「マングースの章」で衝撃的な東京の姿が描かれる。
作品世界の日本は、もはや経済大国ではない。
世界各国からはすでに見放されているが、日本国民だけがようやくそれを自覚し始めていた。
日本国内の優秀なメーカーは国内生産に見切りをつけ海外へ流出した。
もはや国内には市場も労働力もなく、円安とインフレで経済は立ち直れないほどになっている。
まるで、現代の現実の日本の姿のようではないか。

失業率は15%以上、自殺者は年間30万人を突破。
犯罪件数は増加の一途を辿り都市部では治安が悪化している。
もしかしたら今後、本作の世界観の通りになってしまうのかもしれないとさえ思える。

そして、決定的な厄災が降りかかる。
東京湾北部大震災。
マグニチュード7.5の大地震が首都を襲ったのだ。
しかも、震源はお台場の直下。
現実世界でも「首都直下型地震」はずっと警鐘を鳴らされている。

壊滅的なダメージが東京を中心に日本全体へ広がった。
その震災から4年経ったのが本作の舞台。
都市の復興は遅々として進まず、倒れたビルを更地にしたことで歯抜け状の街並みが広がっている。
埋め立て地だったお台場は陸地とつながっている橋を全て解体し、文字通りの孤島とされる。
都市機能は完全には回復しておらず、各地でコロニーと呼ばれるコミュニティが形成されていた。
そんな中、主人公・巽丑寅は不思議な黒人の少年・丈太と出会う。
中国人を中心とした海沿いのコロニーから、丈太の仲間に出会う中、震災で親を亡くした子どもたち「震災ストリートチルドレン」の不穏な動きに感づく巽は、より大きな組織が背後にあることを突きとめる。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

魅力的なキャラクターと多方面の社会問題

boy playing jenga
Photo by Michał Parzuchowski on Unsplash

こうした作品の世界観を違和感なく詰め込み、人間の身体でいうと骨格となるベースを形成している。
一方で血肉となる部分では、魅力的なキャラクターと、彼らを取り巻く社会情勢・社会問題によって形作られている。

主人公・巽丑寅は元刑事だがいまはヤクザの用心棒のような稼業で日銭を稼いでいる。
関西弁を話す憎めないキャラクターだが、妻子を失った過去を持つなど、一面的ではない陰影のある人物造形が秀逸である。

謎の少年・丈太は動物好きで無垢なイメージを持つ。
最後までキーとなるキャラクターである。
他にも、巽の元上司で警視庁生活安全課少年係の鴻池みどり、丈太の兄貴分のチーチェン、帝都工科大学地震研究所の工学博士である和達徹郎、捜査課一係のベテラン刑事でみどりの理解者である河野準治、中国語が堪能で誰とでもコミュニケーションがとれる不思議な大学生・久野隆文などなど。
一癖も二癖もあるキャラクターたちが世界を揺るがす大きな謎に巻き込まれていくストーリーは、読んでいてワクワクするという近年なかなかない読書体験であった。

平行世界である作品世界の日本でも、現代の我々の日本と同じような社会課題が目白押しであるようだ。
無国籍児・無戸籍児の問題、外国人労働者の不法就労問題、臓器売買の問題、首都直下型地震による被災地対応の問題、ジェンダーの問題など、何が正解なのか、一概には言えないような問題・課題が山積している。
物語の骨格としては無国籍児童の問題が大きく取り扱われている。

本作に解説があるが、国籍には大きく分けて二つの考え方がある。
生地主義と血統主義である。
生地主義は生まれた土地・国によって自動的に国籍が与えられるという考え方で、アメリカやオーストラリア、フランスなどが採用している。
日本は血統主義という考え方で、国籍を親から子へ相続するという考え方。
韓国や、ヨーロッパでも血統主義の国は多いらしい。
日本では「家」とか「戸籍」という制度と密接に関係している。
なぜ無国籍の子どもが発生してしまうのか、というのは実に根深い問題なのだ。

自国が内戦などによって国自体が消滅してしまうことで無国籍になってしまうことはこれまでもあったが、震災などの災害によって外国籍の親が亡くなることで子どもに国籍が得られなくなってしまうことも、今後は想定しないといけない問題なのだろう。

本作では他にもさまざまな社会問題が絡み合い、キャラクターたちの置かれた状況をリアルに映し出している。
ただ、いささか風呂敷を広げすぎた感は否めない。
社会問題は、それ単体で存在しているわけではなく、さまざまな側面が複雑に絡み合っていることがほとんどだ。
とはいえ、作品の中ですべてを回収できるわけでもないわけで、作品世界の骨格とするかエッセンスを取り入れる程度にするかのバランスをとる必要があるだろう。

見えない鎖

gray metal chain on green metal door
Photo by kili wei on Unsplash

本作の本流となるのは、アナキズムだろうか。
アナキズム、つまり無政府主義(と訳されることが多い)である。

本作では「潮流舎・黒旗」として登場する。
「黒旗」はアナキズムの象徴的なシンボルだ。

アナキズムを大雑把に捉えるとすると、国家を否定する考え方ということになるだろうか。
『お台場アイランドベイビー』でのアナキズムの首謀者として登場する「オオスギ」は、甘粕事件の大杉栄をモデルとしたキャラクターだろうか。


Wikipediaを読む限りとんでもない人物だったようだ・・・。

ラスト近くに述べられる「見えない鎖」という言葉が、このアナキズムの根幹の考え方として描写されている。

「日本人というのはつくづく鎖づくりの好きな国民だと思っていたが、最近は少し違うようだな。 今この国にわんさといるあの脆弱で怠惰な若者たちはどうだ?  汗を流して働くでもなく、何かを成し遂げた経験もなく、努力もせず、そのくせ自意識だけは過剰で、自分は特別な存在だと思い込み、何の才覚もないことに目をつぶって、正当に評価されていないと歪んだ憎悪を抱く」

ここで言う「鎖」とは何か。

「あんたたちの大事な『世間』というやつを形づくっているすべての要素が、鎖さ。モラルも、教育も、制度も、慣習も、すべて——」

オオスギの言う「アナキズム」は結局のところ「あらゆるものからの自由」と置き換えても差し支えないだろう。
だが、なにものにも縛られない自由というものが、果たして存在するのだろうか?
というのが著者の主張とも受け取れる。

社会で生きる人は、誰しも例外なく何らかの「縛り=鎖」がある。
国籍という鎖、性別という鎖、人種という鎖といった大きなものから、上司部下という鎖、家族という鎖、学校という鎖など、大小様々な「鎖」を引きずって生きている。
人間だけではない。
動物も昆虫も、地球上に生きている生物はみな、なんらかの制限の元に生きている。
人間だけが縛りのない世界で生きていけると考えること自体が大いなる奢りであろう。

巽は言う。

「人間いうのはなあ、みんな鎖引きずって歩いとんじゃ! 断ち切られへん鎖も、断ち切りたい鎖も、断ち切ったらあかん鎖も、ようけ引きずって歩いとんじゃ! 俺なんかなあ、鎖の先に、ごっつい鉄球までついとるわ!」

自分があのとき起きて子どもをあやしていたら、妻と子とは死ぬことはなかった、という後悔を「鉄球」として引きずって歩いている。
それは、ずっと死ぬまで引きずることを自らに課したのだろう。
そして、オオスギ自身が「アナキズム」という思想(=鎖)に縛られていると喝破する。
子どもたちに自らの思想を植え付けるということそれ自体が、何者にも縛られないアナキズム思想と矛盾している。

楽園の実を食べてエデンの園を追放されたアダムとイブの時代から、人間というものは何かに縛られていないと生きていけない存在なのかもしれない。
だから私は今日も本を読もうと思う。


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