【BOOK】『孤狼の血』柚木裕子:著 暴力と欲望、その果てにある信頼と正義

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昭和の終わりの広島の、仁義なきヤクザ社会の抗争とそれを「必要悪」として生かさず殺さず手玉に取る悪徳刑事・大上。目的のためなら手段をいとわない強引な違法捜査に呆れながらも、次第に大上の刑事としての「孤高の矜持」に惹かれていく新米刑事・日岡。警察とは、男とは、命とは何か。何もかもが薄汚れていて、何もかもがまぶしく見えたあの時代。男と男の魂のぶつかり合いに心揺さぶられる前代未聞の警察小説。

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孤狼の血 (角川文庫) : 柚月裕子

Amazon.co.jp: 孤狼の血 (角川文庫) : 柚月裕子: 本より引用:

昭和63年、広島。所轄署の捜査二課に配属された新人の日岡は、ヤクザとの癒着を噂される刑事・大上のもとで、暴力団系列の金融会社社員が失踪した事件の捜査を担当することになった。飢えた狼のごとく強引に違法行為を繰り返す大上のやり方に戸惑いながらも、日岡は仁義なき極道の男たちに挑んでいく。やがて失踪事件をきっかけに暴力団同士の抗争が勃発。衝突を食い止めるため、大上が思いも寄らない大胆な秘策を打ち出すが……。正義とは何か、信じられるのは誰か。日岡は本当の試練に立ち向かっていく――。

映画『孤狼の血』予告編

広島が舞台かと思いきや、主な舞台は呉市である。作中では「呉原」という地名になっている。
時代は昭和63年(1988)。呉原東署に新米刑事の日岡が配属される。マル暴刑事大上とバディを組むこととなるところから物語は始まる。
本作は実際にあった「広島抗争」をベースにしていると思われる。
「広島抗争」とは、1950年頃から1972年にかけて広島で起こった暴力団の抗争の総称だ。
第一次広島抗争(1950年頃)、これは映画『仁義なき戦い』のモデルとなった時代。
第二次広島抗争(1963年4月17日 – 1967年8月25日)こちらは主に指定暴力団である山口組とその関係団体である住吉会の抗争が中心となった抗争で、単なる地域内の抗争にとどまらず、関東や関西の暴力団組織が広島の抗争に介入したことから「広島代理戦争」とも呼ばれている。
また、第三次広島抗争(1970年11月 – 1972年5月)もあり、これらを含めて広島抗争と呼ばれているようだ。
私が生まれたのが1972年5月なので、ちょうど広島抗争が終わったタイミングだということが分かった。

物語では、呉原の尾谷組と加古村組の対立が激化しており、大上が間に入って穏便にすませるよう動いていた。
時代は昭和63年、昭和の終わりである。
いわゆる「暴対法」が成立・施行されたのが平成3年(1991年)なので、直前の時期であることが分かる。
当時、暴対法が制定される以前は、当たり前というわけでは決して無いが、日常の片隅にひっそりと暴力団の存在が見え隠れする場面がある、という世の中だったのだろう。
平成3年の暴対法施行後、ヤクザは地下組織化し、マフィアのように表舞台からは見えにくい存在になっていった。
その変化のひとつには、組織の形態変化が挙げられる。
ヤクザ組織は大規模な組織から小規模な組織へと分裂し、または緩やかな連合組織へと変化していった。これは法律による摘発回避や経営の合理化を目指すための対策として取られた。
また、暴力行為や犯罪行為が減少したとも言われている。法律による規制や摘発の厳格化により、犯罪行為のリスクが高まったためである。一部のヤクザ組織では、合法的なビジネスに注力し、社会的地位の向上や資金洗浄を試みた。
一部のヤクザは資金を確保する手段が制約されたため、企業経営への関与や資金提供、脅迫などを通じて利益を得ようとした。
物語はその少し前の時代ということになる。

著者:柚月裕子氏は「『仁義なき戦い』がなければ、この作品は生まれなかった」という趣旨の発言をインタビューでも語っているように、広島のあの時代の空気感をむせかえるほど濃密に描き出している。

本作の核心は、大上と日岡の二人の信条の対比を通して、警察組織の存在意義や正義とは何かという哲学的命題に行き着く。
キャリア組の若手刑事・日岡は、警察は法を遵守し、正義のために市民を守る存在であるという信念がある。
一方、大上はヤクザを「必要悪」とし、生かさず殺さず飼い殺しにすることでカタギ(一般市民)に害を及ぼさないように監視するのが警察の仕事であると豪語する。
日岡の考える理想論も正しいし、大上の言う現実を見据えた対応も正しい。
どちらの言い分も「正義」である。

ーーーネタバレ注意!ーーー
ネタバレ注意

表の顔、裏の顔

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大上と日岡にはそれぞれ、表には出さない「裏の顔」がある。
大上には「小料理や 志乃」の晶子との間に、ある秘密を持っていた。
日岡は、広島大学を出たエリートでありながら所轄署に配属された変わり者、というラベルとは別に、ある使命を持っていた。それは各章の冒頭にある「日誌」の答えでもあった。

本作のあらすじは検索すれば至るところにあるので割愛するが、いま、令和の時代になぜ「ヤクザ vs 警察」という構図の物語がウケたのか、を考えてみたい。
本作は原作として映画化もされ、大ヒットした。
『仁義なき戦い』がきっかけになって生まれた物語だとはいえ、前述したように暴対法施行後はヤクザは表だった活動がやりにくくなり、日常生活から半ば忘れられた存在である。
いまさらヤクザと警察のドンパチかよ、と見向きもされない可能性すらある。

それでも本作の持つ圧倒的なリアリティとグイグイと読ませる筆力で、ストーリーを追わずにはいられない。
そこには、今の時代だからこそ、人を惹きつける核心があったのだ。

1973年(昭和48年)に公開された『仁義なき戦い』は深作欣二が監督としてメガホンを取り、菅原文太が主演を務めた。
これまでのヤクザもの、いわゆる「任侠映画」は、ヤクザを美化して、義理人情に厚く正しい任侠道を貫くヒーローとしてのヤクザを描いたものがほとんどだったという。
つまり「よいヤクザ」が「悪いヤクザ」をやっつけて、めでたしめでたし、というお話である。
だが、『仁義なき戦い』では、徹底したリアリズムで、殺伐とした暴力を描写した。
ヤクザは金にがめつく、弱者に強い社会悪として描き、登場するヤクザが淡々と死んでいく(殺されていく)という「実録もの」として展開した。
そこにはヤクザを美化する演出は皆無だったという。

『仁義なき戦い』予告編

善と悪の境目はどこにあるのか

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一見同じように見えるヤクザものに、北野武の『アウトレイジ』があるが、あちらが「生と死」の物語だとすると、『孤狼の血』は「善と悪」の物語と言えるかもしれない。
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大上は目的のためならば違法な捜査も厭わない「悪徳刑事」として描かれる。
日岡にとっては、大上のやり方はヤクザと同じ「悪」に見えていた。
「警察」は「正義」であり、法に則った捜査を重ねることで「悪」を取り締まるのが役割だと。
しかし、大上と一緒に行動するにつれて、大上の人間としての深みや、刑事としての覚悟を垣間見ることになる。
そして日岡は次第に大上の中に「正義」を見いだすのだ。

日岡が見た「正義」とは、なんだったのだろうか?
それは、大上の中にある「ブレない信念」のようなものではないだろうか。
大上はヤクザを「必要悪」と定義していた。
ヤクザを根絶やしにすることは不可能、であれば、生かさず殺さず、飼い殺しにするのが最善だという考えだ。
決して一般市民への迷惑にならないように目を光らせつつ、敵対するヤクザ同士の抗争が起こらないように、時にはヤクザの上層部へも乗り込み和解の糸口を探る。
下っ端のチンピラの顔すら瞬時に覚え、常に動向を探り、いざ事件が起こると妥協点を探り、落ち着かせてきた。
そこには、常人離れした観察眼があってこその仕事であった。
加えて、現代の法の下では、法の枠外で暴れるヤクザどもを飼い慣らすことができなかったのも事実であろう。
恐喝、詐欺、暴力で一般市民へ危害を加えるヤクザに対しては、同じように法を逸脱した手口で対抗するという理屈を、大上は愚直に実行していたのだ。

さらに大上は、警察自身をも信じてはいなかったのだろう。
『大上ノート』には警察上層部の不祥事やプライベートで「やらかした」情報が細かく記されていた。
その内容は「県警が吹っ飛ぶ」ほどの極秘情報だった。
それを「志の」の晶子から教えられた際、大上と晶子の関係も聞かされた。
「うちは、自分の秘密を、あんたに打ち明けた。事件はまだ、時効になっとらん」
という晶子に対し、日岡はこう答えた。
「俺も、同志です」

日岡はこれまで大上の動向を記した日誌をつけていたが、それらのほとんどの行を筆ペンで黒く塗りつぶしていく。
県警本部の元上司、嵯峨へその日誌を提出し、言い放つ。
「本物の警察官の心得は、大上さんからみっちり仕込まれましたけ」
日岡が「孤狼の血」を受け継いだ瞬間である。

「血」とは「本物の警察官の心得」であり、「孤狼」とは「ブレない信念」を貫き通す生き方そのものを指しているのだろう。

三部作の序章、映画化、次は…

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エピローグを読むと、一度は県北の駐在所へ飛ばされ、17年かかってようやく呉原東署へ復帰した日岡と部下とのやり取りであることが分かる。
だが、実はプロローグの続きであることが、防弾チョッキのやり取りで気づかされる。
そして同時に、プロローグで「悠長に構えている男」が大上ではなく、日岡であることが分かるのだ。

この構成と、最後のサプライズというか、どんでん返しというか、最高の読後感を感じた。

そんな本作には、続編がある。
本作の2年後を舞台とした第2作『凶犬の眼』
凶犬の眼 (角川文庫) | 柚月裕子
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さらなる続編であり、完結編となる第3作『暴虎の牙』
暴虎の牙 上 (角川文庫) : 柚月裕子
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また、本作を原作として映画化されている。
孤狼の血 [Blu-ray]
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こちらはAmazon Prime Videoで視聴可能。
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