昭和40年代、1970年代に生まれた私にとっても、未来はキラキラしていた。
空飛ぶ車で世界のどこにでも行き来できて、人間は働かなくてもよくて、雑用はロボットに任せて…。
少年雑誌には未来の素敵な生活を示したイラストが度々登場していた。
あれから40年余。令和に生きる我々の生活はキラキラと輝いているだろうか。
空は飛ばないけれど車は進化して、ナビがあれば知らない場所でも迷わずに行くことができるし、ちょっとした雑用はロボット掃除機や生成AIによってずいぶん楽になっている。
ただ、働かなくてもよいわけではないし、むしろ生きづらさを感じる人が増えている始末だ。
あの頃思い描いていた未来は、いつから輝きを失ってしまったのだろうか。
失われた30年を押しつけられた世代の、人生の「黄昏」時・トワイライトが胸にせまる、「幸せとは何か」を問いかける、痛切な作品。
小学校の卒業記念に埋めたタイムカプセルを開封するために、26年ぶりに母校で再会した同級生たち。夢と希望に満ちていたあのころ、未来が未来として輝いていたあの時代―しかし、大人になった彼らにとって、夢はしょせん夢に終わり、厳しい現実が立ちはだかる。人生の黄昏に生きる彼らの幸せへの問いかけとは。
トワイライト / 重松 清【著】 – 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストアより引用:
本作『トワイライト』の登場人物たちは、おそらく1960年代生まれ、小学生の頃に1970年の大阪万博を体験している世代だ。
そして『ドラえもん』の主要人物たちになぞらえて、それぞれのキャラクターが造形されている。
・高橋克也(のび太)
本作の主人公、と言ってもいいだろう。のび太と言ってものび太と出来杉くんを足したような人物として描かれている。
子供の頃は運動が苦手だが勉強がよくできる子として、大人になってからは仕事で行き詰まり、リストラ対象となっている。
・安西徹夫(ジャイアン)
少年時代は体が大きく、周りを力で押さえつけるジャイアンそのもの。大人になった今もそこが変わらず、時代や家族から見放されてしまっている。
・安西真理子(しずかちゃん)
少女時代はまさにしずかちゃんのような優等生であったが、大人になりジャイアンと結婚、周りからの評価が軸になってしまっていた。「成長できなかったしずかちゃん」という造形。
・竹内淳子 ケチャ
『ドラえもん』にはいなかったタイプのキャラクター。勉強はできるが周りと馴染めず、周囲とは距離を保つ。やがて「古文のプリンセス」として人気塾講師となるが、旬が過ぎた今、人生に悩む。
・池田浩平(ドラえもん)
おそらく発達障害か、そのほかの障害を持った人物として描かれている。純粋で、よく言えば天真爛漫、それ故に大人になった今そのミスマッチが生活を苦しめる。だが本人は、それに気づかず、気にしていない。成長していない=ずっと変わらない、という意味でのドラえもん。
・杉本(スネ夫)
少年時代、短い期間だけ同じクラスになった。大人になって重病を患う中、ジャイアンをうまくいなしてタイムカプセルを開けようと提案する。
・白石先生
主要人物たちの小学校卒業時の担任教師。タイムカプセルの発起人。その後、殺人事件の被害者となる。不倫の果ての「痴情のもつれ」と報道され、団地の「黒歴史」として次第に忘れ去られようとしていた。
物語は、小学校時代に校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こすことから始まる。
担任の白石先生が始めたことだが、当時小学生だった克也や徹夫、真理子たちにとってはたいした思い出もないまま時が流れていた。
その発起人の白石先生は、不倫沙汰を起こしたのち、惨殺されていた。
郊外のニュータウンで起こった殺人事件として、誰もが思い出したくない思い出になってしまっていた。
タイムカプセルには、白石先生からのメッセージが入っていた。
「四十歳になった皆さん、お元気ですか?」
そう、彼らは白石先生が亡くなった年齢に達しようとしていた。
手紙の結びは、こう締め括られていた。
「皆さんの四十歳はどうですか? あなたたちはいま、幸せですか?」
40歳という年齢が、果たして「人生の黄昏時」なのかどうか。
50歳を過ぎて振り返ると、全くそんなことはなかったな、と思う。
世間一般的には40代は「不惑の歳」などというらしい。
だが、実際には惑うことばかりだったというのが正直なところだ。
もちろん人それぞれではあるだろうが。
人生50年、という時代であれば、15歳で元服して大人の仲間入り、20代〜30代で大いに働き自らの生きる道を見定めて、40代になったら惑うことなく突き進む、というのが通説だったのだろう。
だが現代は人生100年といわれる時代。
であれば40代はまだまだ折り返し地点にも到達していない。
人間が長寿になったことで、青春時代も折り返し地点も随分と伸びてしまったような気がする。
主人公たちは39歳から40歳になるタイミングでタイムカプセルを開けることとなった。
惑う40代である彼らは、何を考え、何を思うのか。
真理子が夫・徹夫について語るシーン。
・・・負けず嫌いって、二種類あると思うの、わたし。負けるのが嫌だから、その場所で必死にがんばるひとと、負けるのが嫌だから、そこから逃げちゃって自分の勝てそうな場所を探すひとの、二種類。
文庫版P210
人生の「壁」に直面した時、立ち向かうのか、逃げるのか。
立ち向かったところで状況が好転する保証はないし、逃げたところで問題を回避できるとも限らない。
どちらが正解だとは言えないだろう。
ただ、「自分なりの正解」を見つけられるように、どこまで「経験」できているかが重要なのではないか。
迷うということは、自分なりの正解に近い経験が足りないのかもしれない。
「あの頃の未来」のシンボル・太陽の塔。
本作でも重要なシンボルとして機能している。
1970年の大阪万博の時点で私は生まれていないが、当時の記録などを読むと、確かにその時そこには「未来」があったのだろう。
【大阪万博50周年】日本万国博(再編集版)/ EXPO’70 50TH ANNIVERSARY
だが、当時見た「未来」と、現在とを比べれば、とてもあの頃の輝かしい未来を生きているという感覚にはならない。
空飛ぶ車はおろか、1970年万博で展示されたリニアモーターカーですら、2024年に至ってもまだ実現の見通しが立っていない。
エキスポタワーや万国博美術館は閉鎖・解体され、現存しない。
唯一残されている万博の象徴「太陽の塔」は、現代を見て、何を思っているのだろうか。
あの頃、馬鹿げているけれど明るく希望に満ちていた「未来」を見ていた人間たちを見て、嘲笑っているのではないだろうか。
「未来って・・・・・・楽しくないよ。みんなそうだと思う。これからどんどん年取って、仕事でも子どもでも親の老後でも、面倒くさいことや思いどおりにならないことがどんどん増えてきて・・・・・死ぬよりましだって、おまえは言うかもしれないけど……・・そういうんじゃなくて、未来があるっていうのも、けっこうキツいんだよな・・・・・・」
文庫版P239
思うようにならない自分の人生を振り返って、徹夫が杉本に吐露する。
みんな未来のことなど考えていない、いま現在の生活で精一杯で余裕などない、と。
この切実さは、30代から40代にかけて、ほとんどの人が該当するのではないだろうか。
順風満帆で何の悩みもない、という人がいたら、ぜひお目にかかりたい。
今の生活に余裕がない、ということは、近視眼的になっている、とも言える。
目の前のことに対処することしかできずに、その先を見据えていない、見据えることができないでいる。
だが、人生のステージはある程度は見えている。
問題なのは、そのステージで「明るい未来」を思い描くことができないことだ。
予想される「暗い未来」は見えてしまうのに。
克也がクラスのいじめっ子が近所の文房具店での万引きを目撃し、その事実を匿名でメモにして担任の白石先生に伝えたシーン。
克也は万引きを注意することができず、怖くなってその場から逃げた。
その行動に対する白石先生の言葉。
白石先生はつづけた。
「勇気って、不思議なものでね、正しいことをする勇気もあるし、間違ったことをする勇気もあるの。間違ったことは、しないほうがいい。それはあたりまえのことなんだけと、間違ったことをしちゃうときはあるわけ、人間って。自分では正しいと信じていても、他人から見れば間違ってることも、たくさんあるの。こっちから見れば正しくても、あっちから見れば間違ってるとかね、ほら、戦争なんかそうだよね。だから、先生は三組のみんなに『正しいことをしなさい』とは、あんまり言いたくないの。ただ、勇気を持ってほしいの。間違ったことをするときでも、勇気を持って間違ってほしいの。万引きはひきょうだし、間違ってる。だから、先生、大嫌い。でも、高橋くんの手紙も、正しいけど勇気がない。勇気のない正義って・・・・・・カッコ悪いでしょ? 先生、三組のみんなには、カッコいいおとなになってほしいんだよねぇ・・・・・・・」言葉の途中から、先生は克也の頭を撫でた。掌一杯につけた塗り薬を擦り込むように、ゆっくりと撫でつづけた。
文庫版P355
「勇気」という言葉は大人が使う言葉なのだな、と感じた。
そして実に都合のいい言葉でもある。
克也は「勇気」を出して告発したのだと言える。
それで十分だと思うのだが、白石先生はそれは「勇気」ではない、という。
正しいけれど勇気がない、というのだ。
これは大人側の勝手な言い分ではないか、と私は思う。
万引きを見かけた時、その場で注意すべきだったのだろうか?
それは果たして得策だろうか?
その場で注意などしたら、いじめっ子たちに何をされるかわからない。
下手をしたら罪をなすりつけられるかもしれない。
そんなリスクを負う必要などないし、そのことで誰もハッピーにはならないだろう。
白石先生の言う「勇気」は、本当の意味での勇気ではない。
ズルい大人の、自分を正当化するための言い訳である。
だが一方で、大人にはズルをしないと耐えられない時が、不意に訪れるものだ。
完璧な人間などいない。
子どもから見れば大人は皆、完璧に見える時もあるだろう。
しかし自分が歳をとるにつれて、思い描いていた「完璧な大人」には程遠いことに気づく。
どうして自分はこんなにもやるべきことができないのだろう、と途方に暮れる夜もある。
そんな時にズルをして、ヒョイっとかわすことも黄昏時の知恵なのかもしれない。
本作では、さまざまな「幸せとは何か」を問いかける。
特に印象的なのは、病床の杉本(スネ夫)が徹夫(ジャイアン)に語るシーン。
「ジャイアン、僕のこと覚えててくださいね」
杉本は言ったのだ。「死ぬことも怖いけど、なんていうか、自分が死んでも誰の記憶にも残らないってことが、もっと怖いんですよね…・・・・」と、つぶやくように。
転校つづきの少年時代をともに懐かしむ相手は、杉本にはいない。だからーー「白石先生から手紙をもらったとき、ほんとうに嬉しかったんです。誰かに覚えててもらえるのって、思いだしてもらえるのって、いちばん幸せなことだと思うんですよね」。
文庫版P426
幸せとは誰かに覚えていてもらうこと、思い出してもらうこと、という。
正しくは、誰かが自分のことを覚えていてくれるだろう、と感じられること、だろうか。
あるいは、自分が亡くなった後のことに対して不安がなくなることを指すのかもしれない。
「死んでも死にきれない」という言葉があるが、死んだ後のことを憂なく過ごすことが、いちばんの幸せ、言われればそんな気もする。
B’zのボーカル、稲葉浩志のソロシングル『羽』にこんな歌詞がある。
全てはスタイル飛び方次第
代わりは誰にもやらすな
その目に映る世界が全てというなら
違う場所見てみましょう
まるで知らないことだらけ
大丈夫、僕は君を忘れない
稲葉浩志 – 羽 feat. DURAN / THE FIRST TAKE
「君を忘れない」だから「飛び方次第」で人生は変わる、変えることができる。
黄昏ている場合ではないのかもしれない。
「違う場所見てみましょう」
世界は思っているよりも、もっと広い。
「まるで知らないことだらけ」
タイムカプセルを開けて、思い出の蓋を開けてみた克也、徹夫、真理子、淳子たちは、見たくなかった過去も丸ごと受け止めた。
だからこそ、小さな世界で息苦しさを感じていた自分を振り返ることができたのか。
「大丈夫、僕は君を忘れない」
失敗も、挫折も、初恋も、失恋も、忘れないでいられるように、次へ進むことができるようになる。
それはせつなさを伴って。
本作は、2001年7月20日〜8月最後までの、黄昏時の大人たちの「夏休み」物語。
夏休みが終わる日の、あのせつなさと、人生の黄昏時は似ているのかもしれない。
トワイライト (文春文庫 し 38-3)
口笛吹いて (文春文庫)
その日のまえに (文春文庫 し 38-7)
送り火 (文春文庫 し 38-4)