日本の絵師(画家)として有名で近年最も人気が高いと思われるのは、葛飾北斎と伊藤若冲だろう。
特に伊藤若冲は2000年以降に脚光を浴びたことで現在でも多くのメディアでも取り上げられている。
細密で写実的な、スーパーリアルな鶏の絵があまりにも有名であるが、その人となりは「偏屈な画狂」であることの他はあまり知られていない。
本作は、史実を元にしながらも、緻密な取材と大胆な想像力で彩り、人間・伊藤若冲の心の闇や奥深くに根差した葛藤をも描き出している。
若冲 (文春文庫 さ 70-1) | 澤田 瞳子 |本 | 通販 | Amazonより引用:
緻密な構図や大胆な題材、新たな手法で京画壇を席巻した天才・伊藤若冲は、なぜ奇妙な絵を生涯描き続けたのか――。 そして、彼の精巧な贋作を作り続けた男とはいったい!? デビュー作でいきなり中山義秀賞、次作で新田次郎賞を射止めた澤田瞳子が伊藤若冲の画業の秘密に迫る入魂の時代長編。 商売にはまったく身が入らず、絵を描くことに打ち込む源左衛門(若き日の若冲)。 一方、義弟・弁蔵は姉をいびり殺した枡源の人々と、そもそも胸の裡をはっきりさせない若冲に憎しみを隠さない。 しかしそれに構わず、若冲は妹の志乃と弁蔵を縁組させ、家を継がせようと言い出す。 それに怒り狂った弁蔵は、若冲が妻を亡くして以来描き続けた絵を見て驚愕するのだった。 以降、絵の道にますます入りこんでいく若冲と、彼を憎むあまり贋作を生み出すようになった弁蔵。 二人の奇妙な関係は若冲の名声が高まるにつれ、より複雑になっていく。 池大雅、与謝蕪村、円山応挙ら当時の京画壇、王政復古が望まれつつあった政治的状況も織り込みつつ、若冲が生み出していった作品の深層にせまった意欲作。
史実では若冲は生涯妻を娶らなかったようだが、本作ではお三輪という女性と結婚していたということになっている。
その妻・お三輪が早くに自死しており、首を吊った土蔵を毎日眺めながら絵を描く日々を送っている、というところから物語は始まる。
家業の青物問屋を若くして継いだが、商売にはあまり熱心ではなく、絵描き三昧の日々を送っていたために、妻の苦悩に気づくことなく亡くしてしまったことが、若冲の人生の大半を後悔と責任の枠内に留めてしまっていたのである。
そのお三輪の弟である弁蔵が、のちに若冲の贋作絵師として登場する。
お三輪の死の責任を感じ、己の贖罪の気持ちをぶつけ描き続ける若冲と、その若冲を許せず責めるために模倣した絵を描き続ける弁蔵(市川君圭)は生涯を通じてライバルとなり、立ちはだかる。
その市川君圭も実在したとされる人物であるが、若冲との接点は明らかになっていないところを、若冲の(実在しなかった)妻・お三輪の弟、という設定としたことで、物語が大きく動き出す構成は非常に面白い。
本作は第153回直木賞の候補作としてノミネートされていたが、惜しくも賞は逃した。
その時の賞は審査員満場一致で東山彰良の『流』であった。
東山彰良「流」特設サイト|講談社文庫
選評(のまとめサイト)によると、
東野圭吾さんには「妻の弟が復讐のために贋作師になったという設定も悪くない。ただ彼が絵の技術を習得していく様子が描かれていないので、その執念が今ひとつ伝わってこない。」と評されていた。
史実を元に設定を彩ったことで、君圭がどのようにして絵画技術を習得したのかは謎に包まれたままなのは仕方がないのでは、と思わずにはいられなかった。
この復讐の鬼と化した市川君圭に、若冲は己の生き様を写し鏡のように見てしまう。
ただ己の欲望としての贖罪を吐き出すためだけに描くことが、己が生きている唯一の理由とも重なっていた。
このように、己の内側から溢れ出るエネルギーを絵筆にぶつけている若冲の生き様は、純粋に「アーティスト」であると思う。
一方の人気絵師・北斎や、浮世絵の広重などとも根本的に違うのはこの点だ。
北斎や広重は、今でいう「イラストレーター」であろう。
ビジネスとしての依頼や、大衆が何を欲しているかを考えて描き出す、いわば「商業画家」である。
若冲はそうした周囲からの期待や要望に応えるというよりも、己の罪を吐き出さずにはいられなかったタイプなのだ。
この頃までの若冲の作風を振り返ると、こうした「己のためだけに描き続ける絵」は、細密で色鮮やかな見た目と同居するように、ある種の孤独さ、寂しさを包含した作風に思えてならない。
代表作とされる『動植綵絵』なども、スーパーリアリティ且つ最高級顔料による鮮やかな発色で目を引くものの、感情が抑制された鶏の目など、どこか寂しそうな、孤独感を感じてしまう。
主観を排した写実的な作風がかえって強烈な感情の吐露のようにも思える。
そんな若冲も、天明の大火ののち、伏見の石峰寺に身を寄せていた頃、73歳にしてようやく「生活のために絵を描く」ことになる。
決して結ばれぬ、咲き乱れる紫陽花の下、奇妙な隔たりをもって対峙する雄雌の鶏。美しくとも生の喜びの久落した絵に、妻を死なせた悔いを託すという気ままが許されたのも、金の心配のない隠居の身だったからこそ。わが身を責め苛むだけだったその才を、晋蔵やお志乃のために使うかと思うと、これまでにない不安が胸に兆す。とは言っても、人は霞だけでは生きて行けぬのだ。
P250
この頃、ようやく「人間・若冲」が垣間見えるようになる。
ただ己のためだけに筆を握れていた境遇から解き放たれ、他人に関してあれこれを思い悩ましながら描くことになるのだった。
若冲の絵の歴史という尺度の中では、この辺りがターニングポイントのひとつになっているのではないかと思える。
自分のためではなく、人のために絵を描く。
相手を慮って描くことで、次第に亡くなった妻・お三輪への手向のための絵へと昇華していくことになる。
それは次第に己の感情の吐露に回帰していくということでもあった。
「そやけど世間はだませても、わしの眼は誤魔化せへんで。お前の絵はすべて、己のためだけのもの。そない独りよがりの絵なんぞ、わしは大嫌いじゃ」
「自分のための絵ー」
それは決して間違っていない。さりながらそれをこの蓬髪の媼が指摘したことが、不思議でならなかった。
「おお、そうじゃ。絵というもんはすべからく人の世を写し、見る者の眼を楽しませるもの。
けどお前の作は自分の胸の裡を吐露し、己が見たくないものから眼を背けるためのもんやろが」
P293
贖罪の意識を吐き出すための絵は、同時に現実を受け入れられない自分の逃げ道となっていたのだった。
そうした己の心の弱さから、常に生きる苦しみを描いてきた若冲は諭る。
生と死は表裏一体、あるいは地続きのものであり、それら自らが絵を描く理由をはっきりと自覚する。
(これは浄土や。そう、わしは浄土を描くんや)
鳥も花もすべて、生きることは美しく、同時に身震いを覚えるほど醜い。
無数の蟻に食い荒らされる、腐った柘榴。木の枝からぞろりと垂れ下がり、風に蠢く葡萄の蔓。生きることは死ぬことと同義であり、生の喜びを謳うことは、日に日に終焉に向かう命を呪うことと紙一重。ならばこれまで生きる苦しみのみを描いてきた自分はどんな画人よりも、草木国土がこぞって晴れやかなる命を礼賛する浄土を描くにふさわしいはずだ。
P300
若冲の没後、周囲の人間たちは「伊藤若冲とは何だったのか」を評している。
「あの石灯籠図屏風がそうであるように、確かに若冲どのの絵には、古今東西の画人があえて筆に起こさなかった生命の醜さ不気味さを直視する冷酷さがございます。いわばその点とそが、伊藤若冲どのの真髄でございましょうがー」
(中略)
絵は美しければ美しいほど、喜ばれるもん。そやから絵師は須らく、絵を見る者に媚び、一つの綻びもない草花を描くんどす」
さりながら世人は、本来ならば醜いはずの穴の空いた糸瓜の葉、立ち枯れた百合の花を好んで描く若冲を矯の画人と讃美し、その絵を競って求めた。
P352
凡人は周囲の風景ですら、見たいようにしか見えていない。
若冲はリアルを超えたスーパーリアルなので、見たくないものまで忠実に描き出す。
それは時に美しくないもの、醜いものも含まれる。
美しいものも、醜いものも等しく描くことで、ある意味で人間らしい絵となるのだ。
「人の心いうのは、誰であれどっか薄汚れて久けのあるもんどす。むしろ時に人を恨み、憎み、殺したろと思いもするからこそ、その他の行いがえろう綺麗に見えるんやあらしまへんやろか」
若冲はんの絵はきっと、と弁蔵はわずかに声を上ずらせた。
「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。そやから世間のお人はみな知らず知らず、若冲はんの絵に心惹かれはるんやないですやろか」
P353
人のために描いたわけでもない若冲の絵は、美しさも醜さも包み込んで描き出すことで、結果的に人間そのものを描いていることになる。
「絵というもんはすべからく人の世を写し、見る者の眼を楽しませるもの」
それは商業イラストであって、芸術の絵とは少し違うと思う。
若冲の絵は己の奥底から湧き上がってくる衝動を抑えずにアウトプットすることで、結果的に誰もが見たくなる絵となったのだ。
若冲 (文春文庫)
完全保存版 若冲 (TJMOOK)
もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 改訂版 (アート・ビギナーズ・コレクション)
若冲伝
若冲 ~名宝プライスコレクションと花鳥風月 (別冊宝島 2392)