【BOOK】『護られなかった者たちへ』中山七里:著 護る側も護られる側も人間


この作品を読んだときに、真っ先に思ったのは、全国の福祉保健事務所の職員の方々は、これを読んでどう思うのだろうか、ということだ。
もちろん小説はフィクションなので、鵜呑みにするわけにはいかないし、現実とごちゃまぜに考えるべきではないと思う。ただ、福祉保健事務所の職員の方々が、真面目に職務に忠実に仕事をしたとしても、制度や仕組みの上で、こういった悲劇が起こり得るということに、強烈なリアリティーを感じる。

「あなたにこの物語の犯人はわからない」―― 中山七里

仙台市の保健福祉事務所課長・三雲忠勝が、手足や口の自由を奪われた状態の餓死死体で発見された。
三雲は公私ともに人格者として知られ、怨恨が理由とは考えにくい。
一方、物盗りによる犯行の可能性も低く、捜査は暗礁に乗り上げる。
三雲の死体発見からさかのぼること数日、一人の模範囚が出所していた。
男は過去に起きたある出来事の関係者を追っている。男の目的は何か。
なぜ、三雲はこんな無残な殺され方をしたのか? 誰が被害者で、誰が加害者なのか。
本当に“護られるべき者”とは誰なのか
怒り、哀しみ、憤り、葛藤、正義……
万般の思いが交錯した先に導き出される切なすぎる真実――。

“どんでん返しの帝王”中山七里が挑む、骨太の社会派ヒューマン・ミステリー。

引用元:護られなかった者たちへ | 中山 七里 |本 | 通販 | Amazon

本作には、現在の日本が抱える様々な問題が多く詰め込まれている。貧困家庭、教育格差、社会福祉制度、生活保護の不正受給問題、犯罪の被害者と加害者との関係。
そして、もう一つ、大きなファクターが東日本大震災とそれからの復興の問題だ。
それぞれが別個の問題ではなく、相互につながっている複雑な問題だと思う。

震災によって多くの人が肉親や家や財産を一度に失った。それは誰のせいにもすることができず、その怒りや苦しみの出口がないままに、抱え込まざるを得ない人たちが大勢いる。それでも溢れ出てしまった怒りや苦しみは、犯罪や暴力といった形になって浮上する。そしてそれが貧困や格差や新たな犯罪へと形を変えながら渦巻いているのだ。

ネタバレ注意
ネタバレ注意

UnsplashEric Ward

本当に護られるべきは誰だったのだろうか。
遠島けいは、生活保護の申請が通らず、ひとり孤独に餓死した。
カンちゃんは母親が心を入れ替え生活を変えたことで一旦は救われた。
利根勝久は、櫛田という保護司のおかげで少しずつだが、更生の道を歩み始めていたが、遠島けいの孤独死をきっかけに復讐を誓い、荒れた生活を送ることになる。

本当に守られるべきは彼らだけだろうか。
塩釜の福祉保険事務所の三雲や城之内は、何者かに拘束され、人気のないところに放置されたことで餓死した。職場の同僚や家族からはありえない位の善人だと言う評判だった。

生活保護で暮らす母子家庭。子供を塾へ行かせるために母親はスーパーのレジ打ちのアルバイトをしていた。福祉保険事務所にそのことを黙っていたことで生活保護を打ち切られ、その後、思い悩んだ母親が子供を殺害、心中した。

誰の、何のための生活保護という制度なのだろうか? 作中でも笘篠刑事が生活保護の実情を知るたびにこういった思いを強くしていく。

「目には目を、歯には歯を」と謳ったのはハンムラビ法典だったか。相手から理不尽にやられた事は、それ相応のことを相手にもやり返してもよい、ということを定めたもの。
遠島けい、カンちゃんと利根が奇妙な共同生活を送っていた頃、カンちゃんが同級生からいじめを受けていた。その報復としていじめをしていた同級生たちを待ち伏せして頭からペンキをかけたというエピソードが描かれる。この時のけいのセリフ。

「ちょうどいい罰だろうね。それ以上厳しかったら、加害者と被害者が逆転しちまう」

それ相応のことをやり返した、というエピソードなのだが、この「それ相応の」というさじ加減は、一体誰がジャッジするのだろうか。

遠島けいが生活保護の申請を通してもらえず、孤独死した件と、当時の福祉保険事務所の担当者である三雲や城之内が、拉致・監禁されて餓死した件は、「それ相応」なのだろうか。
その判断は、読者一人ひとりに委ねられているが、これが正解だと声高に語れるものでもないだろう。

それでもあえて私は言いたい。
福祉保険事務所は職務に忠実でありさえすればよいというものではない。
もちろん、全ての申請を通すことが良いことではない、と言う現実は理解できる。
ただ、それでも目の前にいるのは人間だという事。本当に困っている人間に手を差し伸べること。
そのために人間である担当者が見極めることが必要だということ。
ときには、目の前に見えている現実だけでなく、その背景にある事情をどこまで想像できるのか。

公平公正である事は大前提ではあるが、それにこだわりすぎることで、本当に困っている人に必要な福祉が届かないのは本末転倒である。
職務に忠実であるが故に悲劇が繰り返されるとしたら、それは制度設計がおかしいのだ。
制度や仕組みを整えるべき政治家がちゃんと仕事をしていないということだ。

逆の考え方をすると、生活保護申請の現場で、担当者が必要な人にきちんと届くための対応を行っていれば、やがて予算が足りなくなってくる。予算が足りなければどこかから補填することになる。その補填をするのは、政治家の仕事であることを考えても、やはり政治家がちゃんと仕事をしていないということになる。

なぜ政治家がちゃんと仕事をしないのか、という問題は、この作品からは離れすぎてしまうので、ここでは考えないが、問題の根は相当深いと思わざるを得ない。

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本作品を読み終わったあとで、すぐに映画版もAmazonプライムビデオで鑑賞した。当初は、東日本大震災から10年と言う節目で、2020年冬に公開という予定だったが、コロナの影響か2021年10月に公開となったという。

映画『護られなかった者たちへ』公式サイト

映画版は、小説版と比べて大筋では同じだが、若干ストーリーに違いがある。登場人物も登場する人しない人の違いがある。最も大きな違いは物語の根幹に関わる部分なので、ここでは割愛する。
ラストのどんでん返しも小説と映画では違うが、できれば小説を先に読んだ方が楽しめるだろう。

俳優陣の演技力も素晴らしく、小説の世界をより豊かに表現されていたと思う。
かつて『万引き家族』が世界的な賞を受賞していたが、こちらの作品の方が世界的な賞を取るにはふさわしいとさえ感じた。
【MOVIE】2022上半期に観た映画感想メモ

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タイトルの『護られなかった者たちへ』の意味はラストで明かされる。
著者の中山七里さんはインタビューで「僕もこれらの(生活保護の)実態には人並みには怒ってますよ。ただそれを主張するための作品ではないです。僕には主義主張や承認欲求が微塵もない。むしろみんなが感じていて、言葉にならないことを言語化するのが作家の仕事で、奇をてらった謎や展開で、読者を楽しませるだけがエンタメではないと思う」と語っている。
【著者に訊け】中山七里氏 『護られなかった者たちへ』|NEWSポストセブン

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