【BOOK】『天地明察』冲方丁:著 天と地と人間の営みを映し出す大河浪漫

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星が人を惑わすのではなく、人が天の理を誤っているのだ。
天の定石を正しく知ることが「天地明察」である。
碁打ち衆四家の安井家嫡男である春海は武士ではないのに帯刀を命じられながらも、日々算術に心惹かれる。
ある時、神社の絵馬に描かれた算術の難問を一瞥して即解答する存在に心奪われる。
本人の意思に関わらず徐々に時代を覆す大きな仕事に抜擢され、ついには日本の全てを司る暦を打ち立てる。
時代に選ばれ、時代を作った男の、友情と信念の大河浪漫である。

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天地明察

主人公・渋川春海(安井算哲)。
江戸前期の天文暦学者であり、囲碁棋士であり、神道家でもあった。
本作は史実を基にして書かれた、限りなくノンフィクションに近いフィクションであるという。
この時代の囲碁は仕事として成立していたようだ。
職業で言えば、城に出勤して幕府の役人を相手に指導碁を行う碁打ち衆であった。

囲碁は私自身は馴染みがなかったのだが、調べれば調べるほどに奥深く、そして何より面白いものであることがわかった。
主なルールは簡単にいうと、白い石と黒い石を交互に並べあい、囲ったエリアの広い方が勝ちという陣取りゲームである。

2人のプレイヤーが、碁石と呼ばれる白黒の石を、通常19×19の格子が描かれた碁盤と呼ばれる板へ交互に配置する。一度置かれた石は、相手の石に全周を取り囲まれない限り、取り除いたり移動させたりすることはできない(対角線上に囲っても取り除けない)。ゲームの目的は、自分の色の石によって盤面のより広い領域(地)を確保する(囲う)ことである。

囲碁 – Wikipediaより引用:

Mt. Fuji, Japan
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徳川家康が天下統一を果たし、三代家光に至るまでには、ほぼ戦のない泰平の世が到来した。
戦がないとはいえ、急に武士という身分が無くなる訳ではなかった。
百姓農民や商人のように毎日やらなければならない仕事がないという武士も一定数は存在したようである。
そうなると戦うこと以外の「仕事」を作らなくてはならない。
その一環として、囲碁も存在したのだろう。
主には、将軍やその他幕府役人にとっての「教養」としての囲碁であり、その教養を高めるために、囲碁を教えるという「指導碁」が仕事として存在するようになったのである。
主に城に「出勤」して、囲碁対局を通して棋譜を伝える。
年に何回かは将軍が対局を見る「御城碁」も勤めの一つであった。

囲碁は現代では将棋に比べるととっつきにくいものだが、この時代においてはかなり生活に密着した存在だったのではないだろうか。
現代でも囲碁由来の言葉が多く使われているからだ。
例えば、「ダメ」という言葉。これも囲碁用語である。
漢字で書くと「駄目」と書く。
これは、囲碁では「打っても陣地の増減に関係ないところ」という意味で、打っても意味がない、やっても意味がない、ということを表しているのだ。

他にも
「素人(しろうと)」
「玄人(くろうと)」
「上手・下手(じょうず・へた)」
「八百長(やおちょう)」
「手抜き(てぬき)」
「結局(けっきょく)」
「手違い(てちがい)」
「布石を打つ(ふせきをうつ)」
「目算・目論見(もくさん・もくろみ)」
「定石(じょうせき)」
「必至(ひっし)」
などなど、あげればキリがないくらいたくさんあるのだ。

このように、人々の生活に密着した遊びとして、また武士の教養のひとつとして囲碁は存在した。
そして、もうひとつ、生活に密着したあるものを主人公・渋川春海は作り上げていくのが、本作のメインテーマである。

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暦とは——

その生活に密着したものとは、「暦(こよみ)」である。
暦、すなわち現代でいう「カレンダー」である。

カレンダーとはつまり現在が、何年何学何日であるかを示したもの。
地球が球体であり、太陽を中心としてその周りを回っている、ということが判明してから、天体を観測し、星の角度などから現時点での地球の傾きを計算し、そこから現在の年月日を知る作業である。

果たして今まで、誰も頒暦というものの利益をまともに計算した者はいなかったのだろうか。
どの大名も、この金鉱脈のような商品を専売特許とすることを考えなかったのだろうか。
いや、全国の神宮などは薄々それが分かっているから独自の頒暦販売に固執するのだ。そしてその利益を幕府が独占する。なんとも恐ろしい思いをさせられる数値だった。
この単純な値を、幕閣に見せたらどうなるか。もし彼らがその利益を強烈に欲したとしたら。
改暦に反対する者ことごとくを圧殺してでも成就させたくなるのではないか。
そうなったときの利益の争奪戦を春海は他々に想像させられた。たかが暦だと何度も自分に言い聞かせねばならなかった。そして、されど暦だった。
今日が何月何日であるか。その決定権を持つとは、こういうことだ。
宗教、政治、文化、経済全てにおいて君臨するということなのである。

今となっては、カレンダーは日常的なものであり、あって当たり前のものという感覚である。
カレンダーの日付などを基準にして何かを決定することもたくさんあるだろう。
曜日や祝日、冠婚葬祭では六曜を気にしたりする。

そうした暦は人々の生活には欠かせないものである一方で、それまで暦は平安時代に中国から伝えられた「宣明暦」を運用していた。
だが、約800年も使い続けた結果、誤差が積み重なり無視できないくらいの狂いが生じていたのだ。
そこで、新たに日本独自の暦を作り、改暦するという大事業へつながっていくのだった。
序章にこんな言葉がある。

暦は約束だった。泰平の世における無言の誓いと言ってよかった。
”明日も生きている”
”明日もこの世はある”
天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦なのだ。
この国の人々が暦好きなのは、暦が好きでいられる自分に何より安心するからかも知れない。
戦国の世はどんな約束も踏みにじる。そんな世の中は、もう沢山だ。そういう思いが暦というものに爆発的な関心を向けさせたのだろうか。

簡単に言えば、日本人の手による日本の土地に合わせたカレンダーを、天体を正しく観測・計算して弾き出した、ということになる。
ただ、現代では当たり前のことだが、当時の技術や、観測すること自体の難しさ、暦そのものへの知識や理解が広く伝わってはいない時代において、どれほど困難で大変な事業であったかを想像すると、1人の人間が一生かかってもできるかどうかわからないくらいの、途方もないロマンを感じてやまないのである。

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関孝和との出逢い

本作は主人公・渋川春海の若かりし頃から、晩年までを描いた長編である。
若き碁打ち衆の長子として御城碁も務めるものの、今ひとつ本気になれないでいた。
もっと命をたぎらせて、生涯をかけて取り組むような大仕事ができないものかと心の奥底に灯火を燃やしていたのだった。

ある時、神社の絵馬を見て、とてつもない算術の天才・関孝和の存在に気づく。
算術とは現代でいう「数学」と思って間違い無いだろう。
数学は抽象化された世界での理屈を考える学問だ。
そして数学は「見えなかったものを見るための学問」でもある。

天に輝く星の位置や角度を測り、計算によって現在地を知る。
「今日が何日であってもいい」という動物的な原始的な生活ではなく、四季折々の変化に名前をつけ、自然と共に生きる術を生み出すことが、その地道な天体観測作業の繰り返しによって人間らしい生活が営まれていったのだ。
そのためには正確な「暦」が必要なのである。

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Photo by Ash Edmonds on Unsplash

武部昌明、伊藤重孝との出逢い

“退屈ではない勝負が望みか”
老中酒井の、呟くような問いが聞こえた。
とても、碁打ち衆四家”の一員たる己に、そんな我が儘が可能とは思えない。
だが安井家を継いだ己への”飽き”は日増しに強くなり、心は己個人の勝負を欲して焦がれるほどになっている。この新しい時代のどこかにそれがあると肩じたかった。だがそれがなんであるかも分からぬまま、切ないような悄然としたような、なんだか妙に重い足を引きずりながら、くそ重たい刀を抱えて、春海は帰路を辿った。

老中である酒井雅楽頭忠清からの意図の見えない質問や指導碁での付き合いを通して、己の中に燻っていた生きるための灯火に気づいたのだった。

ただ、それでも真面目な晴海は己を卑下してなかなか踏み出せないでいた。
そんな背中を押したのは、年配の算術家であり、右筆であり、天文暦学者でもある武部昌明と、御典医である伊藤重孝であった。
武部は62歳、伊藤は57歳。
当時でもかなりの高齢であり、日本を旅して天体観測を続ける「北極出地」をやる年齢ではなかっただろう。
だが、いざ出発すると誰よりも真面目に、誰よりも健脚であり、そして誰よりも楽しそうに働くのだ。
そんな2人は春海に観測結果を計算して予想させる。
ピタリと的中すると大喜びするのである。
こんなベテランの先輩たちが、若輩者の挑戦を喜び、後押ししてくれたのだ。
春海はまたもや己の中に燻ったままの熾火になった灯火に気付き、励まされ、徐々に決意を固めていく。

こうした人と人との交わりを通して、春海が何を感じたのか。

”私でも、良いのですか”
関への設問を誓ったあの晩、稿本に向かって問うた思いが、再び熱く胸に湧いた。
一心に北極星を見つめた。まさに天元たるその星の加護があるのだと言じたかった。いつでもあるのだと。誰にでも。ただ空に目を向けさえすれば。

本来、仕事をする、働くということは、自分の自己満足で終わるものではない。
もちろん、食うために生活のために働くということはある。
だがそれも、自分1人が生きていくくらいなら、なんとでもなるだろう。
汗水垂らして働くというのは、そういう意味ではない。
仕事をするということは、いつも自分ではない、誰かのために役に立つことをする、ということなのだ。

春海は、囲碁の家系に生まれながら、囲碁の仕事を「退屈」に感じていた。
真剣に対局することもなかったし、何よりも才能に溢れた本因坊道策の天才ぶりを目の当たりにすると、自分などがどう頑張っても仕方がない、という思いもあったに違いない。
ただ、かといって他に何をしたいのかわからず、いつしか生きることに諦めを抱いていたのだ。

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Photo by Arthur Mazi on Unsplash

保科正之との出逢い

春海には改暦事業を取り仕切るために必要な素養は全て揃っていた。
算術が得意なこと、天文に関する知識、神道に関する知識も必要だった。
「囲碁侍」と揶揄されながらも、黙々と御城碁を務める実直さも申し分なかった。
足りなかったのは、あと一歩前に出る勇気だけだった。

そんな春海の背中を押したのは、武部と伊藤だけではなかった。
会津藩主・保科正之である。
何よりも民を大切にし「会津に飢人なし」とまで言われるような藩政治を貫いた名君主である。

民生が藩政を支え、藩政が幕政を支え、幕府による天下の卸政道が民生を支える、という国の理想を明らかにし、その秩序構築はあくまで法治・文治であるとした点が、正之が体現し続けてきた正義だった。
“たとえ法に背いても、自己の武士道をまっとうすべし”といった武断の世の武士像を斬り捨て、
“主君と同じく、法を畏れよ。もし法に背けば、武士でもこれを有してはならない”と明確に定めたのである。
そして最後の第十五条で、再び君主について言及している。君主のために家臣と民がいるのではなく、家臣と民のために君主がある。正之の人生の結晶とも言える家訓だった。

保科正之にとっての君主は将軍・徳川家である。
徳川家の繁栄のため、改暦事業が必要と判断し、その大事業をやり遂げることができる人間を探っていた。
老中酒井に春海の勤勉さを見極めさせ、武部や伊藤に能力を計らせ、水戸光圀には信頼できる人間かを見極めさせていた。
その誰もが、この改暦という大事業を執り仕切るにふさわしいのは渋川春海であると。
誰もが口を揃えて、春海が適任であると言ったというのだ。

「善策の数々・・・・・・まさに孫子の小道”と存じます」
思わず春海は言った。為政者と民とが共感し合い、ともに国家繁栄に尽くすことが”道”である、というのは軍事兵法の祖たる孫子の理想である。それを軍事否定の正之が体現しているというのは、皮肉というより、それこそ新たな時代にふさわしい価値変転であるように思われてならなかった。

保科正之に呼ばれた晴海は碁を打ちながら正之からの問いに答える。
星が人を惑わしているのではなく、人が天の理を理解していないからだという。天の理屈を誤って受け取っているのは人である、と。正しく天の定石を掴むことが「天地明察」であると答えている。
そこで正之直々に改暦事業を進めるよう命が下される。
春海は自分のような若輩者が恐れ多いと謙遜するが、正之は周りの重要人物たちから春海が推挙されていることを告げる。
水戸光圀公、山崎闇斎、建部昌明、伊藤重孝、安藤有益など錚々たる算術家や実力者たちが皆声を揃えて晴海が改暦事業の指揮を執ることを望んだのだ。
“精進せよ、精進せよ”という武部の優しい励ましと、
“頼みましたよ”という伊藤の信頼を胸に、春海は人生を賭けた大勝負に挑むことを決意する。

自分自身にはいまいち自信がなくても、これだけの人たちが自分に期待をしていることを知ることで、ようやく前へ一歩踏み出すことができたのだ。
己の欲望のためだけであれば、そうは思わなかったのではないだろうか。
誰かに期待される、ということは誰かの役に立てる、ということでもあるのだから。

”私でも、良いのですか”
若き日に己に問うた疑問は愚問であった。
いや、算術としては「無術」つまり解くことができない問いであったかも知れない。
だが、傍にいる人のために「働く」ことが、日本を変えてしまう大事業であったとは。

映画:天地明察

映画版『天地明察』

予告編

Amazon Prime Videoにてレンタル

映画版は2012年公開。
監督は滝田洋二郎、主演は岡田准一と宮崎あおい。
のちに実際にご夫婦となられたふたり。

原作の筋書きからは当然かなり端折って入るが、抑えるべき点は概ね抑えてあった印象。
名シーン・名セリフもあって欲しいものはほぼ登場していた。
「初手天元」
「精進せよ、精進せよ」
「頼みましたよ」「頼まれました」
「病題」「無術」「明察」
「三暦勝負」
「必至」
「私より先に死ななでください」

算術=数学だけでなく、天文は理科、歴史は社会科、漢文や古文もビジュアル的には登場するので国語も含まれる。
様々な教養が必要な物語ではあるが、それがなくても楽しめるエンターテイメント作品に仕上がっている。
映画としての完成度はかなり満足感があった。

ただ、難点といえば、三つ。
ひとつは宮崎あおい演じる「えん」とのロマンスパートがやや多かった点。
原作では春海の最初の妻は「こと」であったが、映画版では登場していない。

次に、保科正之の存在感が薄い点。
原作では春海の偉業を下支えした保科正之=会津殿の存在はかなり大きかったはずだが、映画版では登場はするものの、単に改暦事業を命令されたひと、といった感じの役柄に留まっていた。

三つ目は、和算の大家・関孝和の存在感が薄い点。
保科正之と同じく、春海の行動の原動力となった関孝和も、映画版では登場はするが、あまり多くの出番があったわけではない。
とはいえ、重要な役どころではあるので、要所では登場するものの、春海の執着もそれほど描かれてはいなかった。
あの市川猿之助が演じているので、今後、地上波で放映されることはないのだろう。残念である。

ロケットを飛ばすホリエモンも絶賛していたようだ。

著者:冲方丁氏は初読みだったが、他作品も気になる書が多すぎる。


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