【BOOK】『紙の月』角田光代:著 空虚な自分を埋める何か

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生真面目で何不自由なく暮らしていた専業主婦は、なぜ巨額の横領事件を起こしてしまったのか。
梅澤梨花が求めていたのは恋か、愛か、温もりか、安心か、それとも確固たる自分自身だろうか。
そしてそれはお金で買えるものだったのだろうか。
疾走する焦燥感が胸にせまる長編サスペンス。

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紙の月 (ハルキ文庫)

ただ好きで、ただ会いたいだけだった――わかば銀行の支店から一億円が横領された。容疑者は、梅澤梨花41歳。25歳で結婚し専業主婦となったが、子どもには恵まれず、銀行でパート勤めを始めた。真面目な働きぶりで契約社員になった梨花。そんなある日、顧客の孫である大学生の光太に出会うのだった……。あまりにもスリリングで、狂おしいまでに切実な、傑作長篇小説。各紙誌でも大絶賛された、第25回柴田錬三郎賞受賞作、待望の文庫化。

Amazon.co.jp: 紙の月 (ハルキ文庫) 電子書籍: 角田光代: Kindleストアより引用:

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お金さえあれば、という幻想

お金があればあれができるこれができる、と夢想するのは誰しも経験があるだろう。
宝くじはそういう人たちによって買い支えられ続けている。
夢想すること自体は何ら悪いことではない。
そうやってワクワクした気持ちで過ごす日常が楽しいという人もいる。
だが、お金で欲しいものを得た人生は、欲しい物を得るために努力する人生を捨てることでもある。

主人公・梅澤梨花は平凡で退屈な主婦生活から抜け出したかった。
外で働くことで自分にも価値があると思いたかったのだろう。
銀行でパートタイムの外交員の仕事を始める。
様々な富裕層と接しながら、人柄の良さと面倒見の良さで気に入られていく。
成績もトップクラスに躍り出る。

順調だった仕事はほんの些細なことで綻び始める。
ほんのひとときだけ、ちょっとだけのつもりで借りた少額のお金は顧客のものだった。

ちょうどその頃、魅力的な青年、平林光太と出会う。
歳の差がありすぎると思って相手にしていなかったが、光太からの猛烈なアプローチで次第に心を開いていく。

ここまでで済んでいればよかったのだろうが、なぜか梨花は光太の気を繋ぎ止めておくために金持ちのふりをする。
お金ならいくらでもあると装い、その補填のために顧客の金に手をつけていく。
最初は返すつもりだった。
返せると本気で信じていた。
当初は少額だったが、次第にエスカレートしていき、ついにはいくら抜き取ったのかもわからなくなってしまう。

お金で光太の心を繋ぎ止めておけると梨花は信じていた。
しかし、それは「恋愛」なのだろうか?
金銭を介してでないと成立し得ない関係は、普通に「商売」であり、男女のやり取りなら「風俗」ではないのだろうか、と思ってしまった。

あるいは「依存症」だろうか。
梨花は高校時代、カトリック系の学校に通っており、発展途上国の子供を寄付によって支援する活動にのめり込んでいた。
自分自身が得た小遣いから、幾らかを外国の子ども数名を支援する、という形式で。
ただ、その原資は親が稼いだもので、自分自身は特に何もしていないにも関わらず、良いことをしたと錯覚し満足する。
金銭によってしか何かを成し得ない、誰かを救えない、という梨花の青春期の経験が、ある意味ではトラウマとして梨花の中枢に蔓延ったままだったのか。
このあたりの梨花の心理は私にはついに理解することができなかった。

ネタバレ注意
ーーーネタバレ注意ーーー

white clouds and blue sky
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ほんとうの月が見えていない

「月」の表現が秀逸だ。

「花火の向こうに月がある」ポツリと光太が言った。たしかに切った爪のように細いつきがかかっていた。花火があがるとそれは隠され、花火の光が吸いこまれるように消えるとそろそろと姿をあらわした。

「働いて働いて、単身赴任までして、余裕のないような15年だったけど、でも欲しい暮らしはちゃんと手に入ったよな」
 酔っ払っているらしく、正文の声は間延びしていた。そうね。梨花はもう一度言い、空を仰いだ。さっとナイフで切り込みを入れたような細い月がかかっている。いつかどこかで見たことのある月だと梨花は思ったが、いつ、どこで、誰と見たのか思い出せなかった。

最初は「爪を切ったような細い月」だったのが、だんだんと「さっとナイフで切り込みを入れたような細い月」になっている。
もうほとんど見えなくなっている月は、梨花の溢れてしまいそうな気持ちを表しているのだろうか。
そして見えなくなってしまったら、梨花の何かが決壊してしまうことを暗喩しているようだ。

月は遠いが地球からは最も近い星。
手を伸ばせば、届きそうな存在。
でも届かない。届いても本物ではない「紙の」月。
梨花は光太との将来を夢見て、ずっと一緒にいたいと願っていた。
それは儚く脆い偽物の「紙の」夢「月」だったということか。

月は地球に対し常に同じ面を向けている。
月の裏側を見ることはできない。
梨花の夢も、同じ面ばかりを一方的に見ていただけなのかもしれない。
もしかしたら、裏側がある、ということすら認識していなかったかもしれない。
だから次第に疲れて、バンコクからラオスの国境にまで逃げ続け、疲れ果ててしまったのではないか。
そこで梨花は思う。
光太と同じく、ここから出して、と。
自分ではどうにもならないところまで来てしまったのだろう。

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Photo by Jason Leung on Unsplash

価値観の強制置換装置としてのお金

本作の構成は、梨花のエピソードの合間に梨花と過去に接点のあった人物たちのエピソードが差し込まれている。
梨花と同じく、梨花の友人だった岡崎木綿子も中條亜紀も、梨花の元カレ・山田和貴の妻牧子も、皆お金に縛られお金に振り回されて生きている。
木綿子は異常に節約生活を送り、亜紀は離婚して夫側に引き取られた娘に度々たかられる。
牧子は裕福だった自身の子供時代をいまだに引きずっており、自分の子どもにも同じように裕福な暮らしをさせたいと思いながら生きている。
どれもが病的で異常なほどの熱量を持っている反面、これらは誰にでも起こりうる状態でもある。

梨花の衝動的な行動はどうにも理解ができないが、梨花の友人たちの葛藤は少し理解できる気がする。
だが、それらは全く違うものではない。
根本的なところは、同じ病理なのだと思う。

お金には、違う価値観を同一の単位に揃えるという機能がある。
お金はそれ自体に価値があるのではなく、周りのみんなが「そのお金にはいくらの価値がある」と信じることで成立している。
もともと違う価値観を持った人間が交易するにあたって、お金によって違う価値観を無理やりに同一単位にまとめられてしまうのである。
梨花の苦しみも、光太の苦しみも、木綿子や亜紀や和貴や牧子の苦しみも、皆同じで、お金によって無理やりに価値観を捻じ曲げられてしまった故かもしれない、と思った。

自分は空っぽで何もない存在。
だからこそお金で何かを買って見に纏い、着飾ることで何かを得ていくしか生きていけない人間の物語であった。


2014年、原田知世主演でテレビドラマ化され、その年のうちに宮沢りえ主演で映画化もされた。
映画版『紙の月』予告編

映画版では原作と違って、犯罪へと手を染めてゆく梨花を描くため、銀行でのシーンが多くあったようだ。
Amazon Prime Videoで見放題配信中。


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