「正体」とは何の「正体」を指しているのか?
もちろん本作の主人公である「少年死刑囚」で「脱獄犯」鏑木慶一を指しているのだが、本作はいわゆる「フーダニット」のミステリーではない。
「フーダニット」とは、ミステリー小説用語で「Who done it = 誰が犯行を行ったか」という意味。
推理小説のなかでも、「誰が犯人か?」を当てることに目的を置いた作品がそう呼ばれます。
誰が犯人とされているのか、は読者には一旦示されている。
その上で、「正体」とは何を指しているのだろうか。
鏑木慶一は「なぜ」死刑となったのか、「なぜ」脱獄したのか。
もっと言えばタイトルを「正体」とした「理由」は何なのか?
実はいわゆる「ホワイダニット」の物語なのだ。
「ホワイダニット」とはミステリー用語で「Why done it」をカタカナにしたもの。「なぜ(その犯行を)行ったのか」という犯行動機の解明をメインに据えたミステリーを指します。
罪もない一家を惨殺した死刑囚はなぜ脱獄したのか!?
その488日を追うミステリー!【内容紹介】
埼玉で二歳の子を含む一家三人を惨殺し、死刑判決を受けている少年死刑囚が脱獄した! 東京オリンピック施設の工事現場、スキー場の旅館の住み込みバイト、新興宗教の説教会、人手不足に喘ぐグループホーム……。様々な場所で潜伏生活を送りながら捜査の手を逃れ、必死に逃亡を続ける彼の目的は? その逃避行の日々とは? 映像化で話題沸騰の注目作!
鏑木慶一は潜伏している時は全くの別人を装っている。
目次から引用すると、
章 | タイトル | 視点人物 | 犯人及び偽名 | 職業 |
---|---|---|---|---|
プロローグ | 脱獄から一日 | 酒井舞 | 鏑木慶一 | |
一章 | 脱獄から四五五目 | 四方田保 | 桜井翔司 | 介護ヘルパー |
二章 | 脱獄から三三日 | 野々村和也 | 遠藤雄一 | 工事現場作業員 |
三章 | 脱獄から一一七日 | 安藤沙耶香 | 那須隆士 | 在宅ライター |
四章 | 脱獄から二八三日 | 渡辺淳二 | 袴田勲 | 旅館住み込みバイト |
五章 | 脱獄から三六五日 | 近野節枝 | 久間道慧 | パン工場作業員 |
六章 | 脱獄から四八八日 | 酒井舞 | 桜井翔司 | 介護ヘルパー |
七章 | 正体 | 酒井舞 | ||
エピローグ | 白日 | (酒井舞) |
と、幾つもの偽名を使い分け、潜伏を続けていた。
それぞれ職業も容貌も全くの別人のように書き分けられており、読者にも一見して同一人物ということは判別しづらい。
だが、それぞれの視点人物と接するうちに、徐々に行動の癖や性格が露わになっていく。
共通するのは、非常に真面目で勤勉であること。
どの職場においても勤務態度が真面目で雇用主から重宝されている様子が描かれている。
また、どの職場でも仕事をそつなくこなし、丁寧で優秀である。
そして優秀であるにも関わらず、周囲には一種のバリアのようなものを張っており、仕事以外のプライベートな部分には踏み込ませないことも共通している。
ーーーネタバレ注意ーーー
「冤罪」の「正体」
最終的に鏑木慶一は「冤罪」では無いか、という流れを見せつつ、物語は終焉を迎える。
冤罪を扱った作品は実は多く存在する。
映画『正義の行方』のモデルは「飯塚事件」だ。
飯塚事件 – Wikipedia
2022年放送のテレビドラマ『エルピス-希望、あるいは災い』のモデルは「足利事件」である。
足利事件 – Wikipedia
日本の冤罪を扱った作品には、いくつかの共通するテーマが見られる。
ひとつは、捜査・司法制度の問題点に関するものがあり、分類すると以下の三点が挙げられるだろう。
・警察の捜査手法
日本の冤罪を扱った映画や小説、ドキュメンタリー作品では、警察による予断に満ちたずさんな捜査や、虚偽の自白を強要するような暴力的な取り調べが頻繁に描かれる。これらの作品は、日本の刑事司法制度における供述重視の捜査を問題視している。
・証拠の扱い
有罪証拠のねつ造や無罪証拠の隠蔽など、捜査機関による不適切な証拠の扱いも共通して描かれることが多い。
特にドラマなどのフィクションでは、なぜそのような捏造や隠蔽に至ったのか、警察内部の人間模様や心理的葛藤を含めて描かれる。
・裁判官の態度
リーガルものでは、裁判官の捜査過程に対する無関心や、検察官・警察官との「同僚意識」も問題点として指摘されることが多い。
司法制度のあり方、人が人を裁くことの意義や意味を問う作品が多くある。
一方で、社会的影響を問う作品も多い。
・コミュニティの維持
冤罪事件が地域社会に与える影響も重要なテーマである。
真実の追求よりも、コミュニティの維持が優先されることがある。
地方の、どこにでもある「村社会」における「集団の狂気」を扱った作品としては『楽園』がある。
【MOVIE】『楽園』本当に悪いのは誰なのか
・被害者の苦悩
冤罪によって人生を狂わされた被害者の苦悩や、長期にわたる闘いも多くの作品で描かれている。
こうした苦悩を描いた作品としてあまりにも有名なのが『それでもボクはやってない』だろう。
本作もこうした流れの中にあり、主には警察の捜査手法や司法制度の奥底にあるであろう権力側の傲慢さを炙り出していると言えるだろう。
だが、読了後、私がまず感じたのは、鏑木慶一の悲哀だった。
これほど器用で真面目な人間であっても、事件の第一発見者ということや駆けつけた警察官の曖昧な記憶証言、予断に満ちた捜査によって簡単に犯人として扱われ、真相に気付いた時点ではもう引き返せないという権力側の保身によって、悲惨な結末を迎えたことは、形容し難い地獄であったと感じざるを得ない。
それでも自らの無実を主張し続け、決して屈服せず、戦い続けた鏑木慶一の純粋さは、持ち合わせたこと自体が不幸だったのだろうか。
警察の「正体」、司法の「正体」、人間社会の「正体」を問う作品であることに、最後に気づいたとき、その本を読む人自身に問いかける。
「お前は誰だ。何者だ」と。
映像化
本作を原作として、テレビドラマ、映画としても映像化されている。
テレビドラマ化はWOWOWで2022年に放映されている。
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現在、Amazonプライムビデオで見放題視聴可能。
Amazon.co.jp: 連続ドラマW 正体を観る | Prime Video
映画は2024年11月29日公開。
映画『正体』公式サイト|11.29(Fri) 全国公開
正体 (光文社文庫 そ 4-1)
正義の申し子 (角川文庫)
悪い夏 (角川文庫)
黒い糸【電子版特典付き】 (角川書店単行本)
海神(わだつみ) (光文社文庫)