【BOOK】『雨に消えた向日葵』吉川英梨:著 信じることそのものが希望であり奇跡である


娘を持つ父親の立場でしか読めなかった。
そしてそれは同時に凄まじい恐怖でもあった。
私には娘がいる。それも(読書時点では)同じ小学五年生だ。
もし、娘に何かあったら、と思うと、ページをめくる手が躊躇してしまう。
でも、先が知りたい。でも怖い。そんな小説は初めてだった。

警察官という使命感からか、自身の背負う責任感からか、主人公・奈良の執念とも言うべき地道な捜査は「奇跡」を呼ぶのか。
最後の十数ページまで先が見えない。暗いトンネルを永遠に通っているような感覚があった。
読後、もう勘弁してくれと誰にも聞こえないようにつぶやき、娘の寝顔を確かめた。

埼玉で小五女子が失踪。県警の奈良も捜査に入る。錯綜する証言、意外な場所で出た私物、男に目を付けられていた――情報は集まるも少女は見つからない。捜査本部が縮小されるが、奈良は捜し続ける。彼を駆り立てるのは、かつて見知らぬ男に陵辱され、今も心に傷を負う妹の存在だった。奈良の執念は少女発見に繫がるのか。警察小説の新旗手、最高傑作。

引用元:雨に消えた向日葵 (幻冬舎文庫) | 吉川英梨 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

ミステリーではあるものの、古典的な謎解き型ミステリーではない。
本作品は、家族を想う気持ちが起こす「奇跡」は「状況が整うこと」で発生することを記した「希望の記録」なのだ。

──────────ネタバレ注意──────────

Photo by Joy Stamp on Unsplash

小学五年生の少女が失踪した。事件か、事故か、誘拐なのか、家出なのか、それすらも見当がつかない状況。
しかもそれは、実によくありそうなシチュエーションで起こる。
両親が離婚調停中で父親とは二年間会っていないとか、小学五年生にしては性的な漫画を描いていたとか、ややオーバーな感は否めないが、全くないとも言えない設定だ。

失踪したのは石岡葵。失踪時、持っていた傘だけが現場に残されている。
現場には大きく成長するひまわりが咲いていた。タイトルの「向日葵」は幾重にも重ねられた意味を持つ。

葵の父親は石岡柾則。銀行の融資部門で働き、タワマンに住んでいることから、「勝ち組」と言っていいだろう。
その勝ち組であった日々が一瞬にして砕け散る。
失踪後、すぐに捜索に参加し、地道にコツコツと捜索を重ねる姿は、執念と言ってもいいほどの気迫に満ちている。
もし、私が同じような状況になったら、果たしてどこまでできるだろうか。
いや、どこまででも、なんとしてでも見つけ出す行動をすべきなのは頭では分かっている。

「少女失踪」という状況と、事件か事故か、はっきりしないことから、「山梨キャンプ場女児失踪事件」を想起せずにはいられない。(もちろん本書とはなんの関係もない)


Photo by Erik Witsoe on Unsplash

「失踪した」という事実は、さまざまな方向性を含んでいる。
事件の線で言えば「誘拐」や別件での事件に巻き込まれたか、事故の線では交通事故に巻き込まれたか、ケガをして高所から転落などが考えられる。
家出ということなら、どこへ行ったのか、誰か協力者がいるのか、理由は何か、など複数の方向性が可能性として残り、実際の警察捜査においても絞りきれなければ未解決事件になってしまっても仕方がない、と思わずにはいられない。

主人公・奈良健市は警察官として、執念とも言える行動力で地道な捜査を重ねていく。
ある意味で真面目すぎるほどの「使命感」を持っている。
その裏には、自身が抱える「責任感」が彼を突き動かしていることが読者に示される。
核心には妹・真由子の存在がある。
真由子は学生時代に受けた痴漢被害により、心に大きな傷を負った。
それに気づくことができなかった、妹を救うことができなかったという自責の念が原動力となっていた。
真由子が男性とのコミュニケーションがとれないことから、健市は、あえて着替えを警察署へ持ってきてもらうという「用事」を作り、真由子の「練習」を支えてきた。

「奇跡とは、何かが起こることではなく、状況が整うことである」と霊能者の名言が出てくる。
葵の父・柾則がテレビ番組の公開捜査の後、次の番組で関わった霊能者・エヴリン・ガテーニョの言葉だ。
この言葉が、本作品の背骨のような役割を持っている。
奈良健市も、葵の姉・沙希も、父・柾則も、奇跡を起こることを信じて待つのではなく、今自分にできることを精一杯やる。
そのことだけに集中して、日々動いている。途中何度も挫けそうになる。
こんなことをしていても無駄なのではないか。もう、葵は生きていないのではないか。
そんなネガティブな感情が襲い掛かる。
だが、そのたびに今、目の前にあるやるべきことをコツコツとやり続けることで「状況が整う」のである。
そして、失踪から一年経ち、二年経ち、三年を迎える葵の誕生日目前のころ、これまでやってきたことが実を結び、「状況が整い」始める。

もうひとつ、物語の柱として、奈良健市の「耳の良さ」がある。
常に日常の中にある「音」に敏感に反応する。その音は記憶とも密接につながっている。
音を聞くことで記憶が呼び起こされ、捜査で得た「点」の情報を「線」につなぎ合わせていくのだ。

また、妹・真由子との電話でのやりとりの中でも、真由子の「声」に敏感に反応している。
元気そうだった、意外と力強い声だった、か細かったなど。
「声」という目に見えないけれど、確かにそこに存在する、当人の「意志」のようなものを感じ取る奈良健市のセンシティブさは、そのまま妹への贖罪に結びついている。
その贖罪の想いを抱えたまま、日々事件の捜査へと動いていくことは、それ自体が贖罪であり、コツコツと積み上げたものがやがて「奇跡」へと繋がるのだ。
「奇跡とは、状況が整うこと」である。
無理だと考えていたことが、ある日突然叶う、ということではなく、それまでコツコツと積み上げてきたもので、状況が整うからこそ「見える」ようになる。
あるとき突然出現するのではない。ただ、必要なものが必要なタイミングで揃った、というだけのことなのだ。


2022年夏には、WOWWOWでドラマ化されるようだ。
連続ドラマW 雨に消えた向日葵 | オリジナルドラマ | WOWOW

キャストは非常に納得がいくもので、イメージはぴったりと言っていいだろう。
特に主人公・奈良健市にムロツヨシさんは、まさにイメージ通り。
作中でも背が高くないという描写があった。

余談だが、WOWWOWのドラマは非常に質が高いというイメージがある。
また、当ブログでも感想文を書いた『イノセント・デイズ』や『不発弾〜ブラックマネーを操る男』などもドラマ化している。
余裕があれば課金して観てみたいものだが・・・。

著者・吉川英梨さんは初読み。他の著作も読みたいと思わせるラインナップだ。

1件のコメント

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